第一章 ゲームの始まり
Birinci Bölüm: Start to Game


慈悲深く慈愛遍く神の御名において。

塗炭の苦しみに喘ぐわが祖国の再建を願いつつ。


コレルの願い

 ヒジュラ暦1326年4月、イスタンブル郊外のベイレルベイ宮殿は、その白い壁は初夏の陽光を照り返しながら、激動する世界情勢などそ知らぬふりで佇んでいる。
 スルタン・アブデュルハミト2世の長い治世で、彼に仕えた姫たちは数多く、すでに寵を失った者やいまだスルタンにお目通りするにはいまだ熟さぬ者たちはともかく、条件を揃えながらも運悪くお目通りの機会を得られていない者たちは、本宮殿であるドルマバフチェ宮に収まりきらずにこの夏の離宮であるベイレルベイ宮に押し込められていた。
 いわば、豪奢な牢獄である…のだが、当の本人は、戦死した父の遺影と乳搾り女の母が住まうミングレリアの寒村の故郷に比べればここは天国であり、皇太后や第一夫人に気を配りあまねく美姫たちと妍を競わねばならぬドルマバフチェ宮に比べればここは平和だ、と信じていたのだった。

 さて、そんな平穏な日々を、ある日“同僚”の一人は華美なロココ様式の扉を派手に打ちつけながら破った…

あら、お帰りなさい、コレル。どうしたの? 機嫌悪そうだけど。今日は陛下とウキウキデートだったんでしょ?」
そうよっ。ねぇ、ちょっと聞いてくれる?」
ど、どうぞぉ?」
陛下はイタリア大使に招かれてオペラをお聴きになられたのだけどね、」
あら、素敵じゃない。あんまり話す必要ないし…ね。(1)
そうなんだけど、あのイタ公ども、アンコールで "Adio del Passato" なんか演奏しやがって。訳分かんないのに手ぇ叩いてる陛下も陛下だけど、イタ公どもの増上慢には本当に業腹だわっ!(2)
えー、なんでぇ? ヴェルディの名曲じゃないの。(3)
分からないの? 『さようなら、過ぎ去った日々』よ。わたしたち、あてこすられてるのよ。この神に愛された偉大な帝国が!」
って、ドレスを着ながら怒っても、ねぇ?」
着たくて着てるわけじゃないわよ。わたし、カフタン(ゆるやかな袖の伝統的上衣)の方がずっと好きよ。って言うか、ドレスって胸が苦しくてただでさえイライラしちゃう。」
(すこ~し、絞った方がいいかもねぇ…。)」
それにしても、そうよねぇ。この偉大な帝国を統べるスルタンの寵妃がなぜドレスを着て異教徒の大使の前で微笑まなければならないのかしら? イタ公どもがフランスやらスペインやらドイツやらに苛められていた頃、わたしたちの国には“征服者”や“立法者”がいて、そんな異教徒どもをまとめて相手にしていたというのに。わたしたち、いつからこうなってしまったの? 何がいけなかったのかしら?」
う、う~ん、戦争に負けるようになったのはわたしたちの軍隊が弱くなったからよね?」
そうね。もっとも、弱くなった、というのは相対的な話。わたしたちよりヨーロッパの方がより多くの軍隊を養え、高価な武器を揃えることができた、ってことよね。そのお金をどうやって儲けたのか?」
やっぱりお金を儲けるには、誰にも負けないよい製品を造って売るってことじゃない? ほら、例えばパリのファッションなら誰だって欲しがるでしょ?」
ばっかねぇ。そりゃいいものも造ってるでしょうけど、そうじゃないのよ。逆で、どんなろくでもないものを造っても買ってくれる相手、植民地を作るのが一番儲かるのよ!」
ろくでもないものでも買ってくれる、なんて人たち、いるわけないじゃない。」
もちろんそうね。だから、そうせざるを得ない状況に仕向けるのよ。例えば、イギリス人はインドの綿織物があまりにも素晴らしくてインド人が自分たちのごわごわした毛織物を買ってくれないから、綿織物の一大産地、ベンガルのダッカの織工1万人以上の両手を切り落として両目を潰した、って話を聞いたことがあるわ。(4)
え…。マジ?」
本当よ。インドの次は中国。今度は自国で禁止している劣悪な阿片を中国にばら撒くし。」
そこまでするんなら、インド人を全員奴隷にして、財産取り上げちゃえばいいじゃない。」
そうしたら、イギリス人はスペイン人みたいに昼寝ばっかりして1日に5食も食べて、働かなくなるじゃないの。」
なんだか…、誰も幸せにならない話ね。インド人は手を切られるし、イギリス人は働かされるし。」
でも、戦争には勝つわ! 本当、イギリス人、スペイン人、フランス人、なかんずくロシア人どもの悪行狼藉にははらわた煮えくり返るけど、世界中の善き信徒たちがわたしたちに救援を求めるけれど、わたしたちには何もできない…わたしたちが連中より弱いから!」
な、何も泣かないでも…。」
H.G. ウェルズじゃないけれど、タイムマシンがあったなら400年前に飛んでいって時の大宰相たちに教えてあげたいわ。」
でも、わたしたちも植民地政策ってしてたことってあったそうよ?」
ほ、本当?」
うん、かの“立法者”スルタン・スレイマーンの最後の大宰相ソコルル・メフメト・パシャに連なる人で、コジャ・スィナーン・パシャ Koca Sinan Paşa って人が大宰相になったとき、ミール・アリー・ベイ Mir Ali Bey って提督に命じてモガディシュからモンバサまでをポルトガルから奪ってオスマン帝国の植民地にしようとしたのよ。」
で、どうなったの?」
う~ん、このスワヒリ海岸に住む人たちはアラビアやインドとの交易で何百年も前からすっかりムスリムになっていたから、ポルトガル人を嫌ってたのは確かなんだけど、残念ながらトルコ人も嫌いだったみたい。方々で起こる反乱を収めきれず、ミール・アリー・ベイはスワヒリ海岸から追い払われたそうよ。」
その後は?」
その後…。う~ん、その後すぐにオーストリアとの戦争やジェラーリー諸反乱が起こっててんやわんやだったから、忘れちゃったんじゃないかなぁ。スワヒリ海岸は、オマーンがザンジバル島に要塞を築いてそこから間接統治してたみたいね。オスマン帝国もポルトガルもいなくなったところを、ちゃちゃっとうまくやったみたい。」
はぁ、残念ねぇ…。でも、例えばもしかしたら、そのミール・アリー・ベイって人がうまいこと統治して利益を上げてたら、オスマン帝国が海洋植民国家になってたってことも十分ありえたのね? そうなってたら、いまの世の中、どんなになってたかしらねぇ。」

スルターナ・オズレムの提案

 そのとき、それまで水煙草をくゆらせていたオズレムがパイプを置いて話に加わってきた。

まぁ、こんな話の流れになるなんて思いもよらないこと。ねぇ、コレル、オスマン帝国が海洋植民国家になれるかどうか、試してみたい?」
は?」
歴史がもしこうだったら、これはこう動く、あれはああ動く、っていうことを思い巡らすことをシミュレート、って言うんだけどね、ただ一人で想像するだけだと想像の中身も嘘っぽくなりがちだし、ちょっとつまんないでしょ? そのシミュレートを多人数で行い、偶然性をサイコロで再現するための補助器具があるのよ。これなんだけどね。」

と言うとオズレムは自分が寄りかかっていたクッションの山を払いのけてそこから秤竿ほどの長さがある大きな箱を(ただし厚さはそれほどでもない)取り出し、わたしたちの前に置いた。

『Turca Universalis』?」
『遍くはトルコの意のままに』って意味のラテン語よ(5)。オスマン帝国を初めとする中世諸国に成り代わって、ヒジュラ暦822年から1235年にかけて、富国強兵と近代化をシミュレートするのよ。でもごめんなさい、Asia Chapters なの(6)。」
どこで買ってきたの? こんなもの。」
バヤズィト区(7)のショセグラの2階(8)。で、やる?」
(どうする? なんだかえらく面倒で難しそうよ…?)」
(でもここでやらないってちょっと言えなくない?)」
(仕方ないか。)ええ、暇だしぜひお付き合いさせていただくわ。ちょっと、メルテム、あんたいつまで爪塗ってるのよ、あんたもやりなさいよ。」
ほぇ?」

ふと見ると、チャウラが部屋の隅っこで膝を抱えて本を読んでいるのが目に留まった。1ヶ月前にここに入った娘だが、内省的な性格らしくまだわたしたちと打ち解けていない。

チャウラ、よかったらゲームに加わらない?」
(ちょっと。また面倒っぽいことを。)」
(いいじゃない、あの娘と打ち解けるいい機会よ。)」
あの…わたし…、はい…がんばります。」
う、うん、よかった。じゃあオズレム、5人揃ったけど、足りる?」
ええ、十分よ。じゃあまず国決めなんだけれど、どうしようかしら? 自分の好きな国を選ぶのがセオリーだけれど、ぜんぜん知らない国をプレイするっていうのも新しい発見よ。」
そうねぇ、じゃあみんなそれぞれの故郷が属する国を取るっていうのはどう? まったく知らないわけじゃないけどあまり知らないし、思い入れもあるでしょ? えぇと、わたしはアルメニアだから、白羊朝ね。うん、羊の紋章、可愛くて気に入ったわ。」
じゃあわたしはミングレリア…ってないのか、場所からするとグルジアかな。」
えへへぇ、わたしフランスー。」
あ・ん・た・い・つ・か・ら・フ・ラ・ン・ス・人・に・な・っ・た・の・よ。」
ぎゃー、音節ごとに頭をぐりぐりするのはやめてー。心はいつもパリジェンヌなのー。」
あんたはここ、トレビゾンドでしょっ。」
ふん、そんな田舎、知らないわ。ううっ。」
あの…わたし…、キプチャク…汗(あせ)の国(9)? なんだか男らしい国ですね…。」
へぇー、チャウラ、ロシアから来たんだ。通りで綺麗な、透き通るような金髪よねぇ。」
そんな、そんなこと…ないですよ。」
わたしはイスタンブル生まれなんだけど、やっぱりビザンツ帝国ってことになるのかしらね。」
オズレムはスルターナだものね(10)。」
でも、困ったことになったわ。」
うん?」
『Turca Universalis』なのに、トルコが一人もいないじゃないの。」
あ…。」
う~ん、じゃあこうしましょ、オスマン帝国をみんなでやるの。歴代のスルタンを交代交代で。」
相手はどうするのよ。」
こういうときのためにあの人がいるんじゃないの。」
ああ、あの人ね。呼んでくるわ。」

と、コレルが宦官長を連れてきた。

お呼びと伺いしましたが、スルターナ。」
宦官長、お忙しいところをごめんなさいね、実はゲームの相手が足りないのよ。」
ほほぅ、ボードゲームですな、これは懐かしい。昔は『孫子』や『関が原』などを一晩かけてやったものです。して…?」
これはオスマン帝国が世界に覇を唱えるゲームなんだけどね、宦官長にはオスマン帝国以外のすべての国を動かして欲しいの。オスマン帝国はわたしたちが変わりばんこで担当するわ。」
すべての国…でございますか…。しかしながら、ふむ、要するにそれがしは姫様たちの邪魔をすればよろしいのですな?」
あんた何、喜んでるのよっ。」
ははっ、喜ぶなど、いやいや。ええ、ええ、謹んでお相手させていただきましょうぞ。」
そう、良かったこと。じゃあ、わたしたちの方でも順番を決めましょうか。そうね、サイコロを2つ振って、大きい目の順からでいいわね?」
じゃあ振るわよ? 10。」
あ、わたしも10だ。」
わーい、7だ。」
7って一番出やすいのよ?」
…2です。(でも、経験点10点…。)」
わたしは、5ね。」
コレル、もう一回振りましょ。あ、勝った。じゃあ、わたしがメフメト1世で、わたしからだね…。いいのかな?」
じゃあわたしはムラト2世か。」
ほら、やっぱりラッキー7だよ。わたし“征服者”メフメト2世だもんっ。えへへぇ。」
こ、こんなアホが…。」
ひっどーい、クーデター起こして幽閉しちゃうよっ。」
わたしはバヤズィト2世ね。」
わたし…、“冷酷者”…。嬉しい…」
え…?」
尊敬しているんです、とても。」
へ、へぇ…。(11)
じゃあ、順番も決まったところで、始めましょうか。まず、 Builders Paradise というところから The Greatest AI - 2nd CQD version というのを拾ってこないとね。それと、見栄えを良くするために Paradox Interactive Forums - EGUFSM 1.1 から EGUFSM 1.1 も拾ってきて、と、よしできたわ。じゃあ、条件を設定しましょう

バージョン:EU2AC ver. 1.08b
シナリオ :The Grand Campaign (BP ai)
国家   :オスマン帝国
難易度  :非常に難しい
AIの好戦性:臆病

。」
“非常に難しい”っていうのは、その心意気やよし、って感じだけれど、“臆病”っていうのはどうなの?」
“臆病”の方が後先考えずに戦争することがなくなるから、敵が守勢に回ったときにより厄介なのよ。なんといっても主体的に行動するのはこちらだからね。さて、“ライバル”も決めないと。」
“ライバル”?」
ゲーム中にいつでも自分の国と国力を比べることができる国を7つ選ぶことができるのよ。わたしは“ライバル”と呼んでるんだけどね。こうやって選ぶの。
クリックすると拡大画面を表示します
自分が選んだ以外の国の旗の上で右クリックして、リストから好きな国を選ぶの。自分の国が最初に載っていないときもこうやって選ぶんだけどね。(12)
“ライバル”か。やっぱり海洋覇権国家を目指すんだから、そういう国が気になるよね。それと強大な隣国も。最初から上がってるフランス、カスティーリャ、イングランド、オーストリアはそのままでいいんじゃない? あと3つか。ポルトガルとロシアも当然マークね。あと1つ…、う~ん。」
オランダとかペルシアって、このゲームの開始時にないんだね。あと強いて気になるといえば、スウェーデン、ポーランド、あとでムガル帝国になるティムール帝国くらいかな…、中国とか遠すぎるし。」
ティムール帝国でいいんじゃない? 同じムスリム国だし、順調にいってるかどうか、いい指標になるわよ、きっと。」
じゃあ、“開始”するよ~?」

 こうしてゲームは始まった。


  1.   スルタン・アブデュルハミト2世は猜疑心の強い人物であったと伝えられます。晩年などは相当話しづらい人だったんじゃないかなぁ、と。

  2.   1999年日本公開の、伊土共作映画『ラスト・ハーレム』にそのような場面があって、芸が細かいな、と感心しつつ、それに気づいた自分に悦に入ったことがありました。

  3.   ハレムの女性たちは基から美しい少女たちを集めた上に、宮殿で諸芸百般を叩き込まれました。さらに彼女たちは信仰心篤く、またその容姿・技芸のすべてが帝室の血統を存続させるという大目的のためにのみ存することをよく承知していた。おそらく歴代のスルタンの多くは知性と時には体力においてさえも彼女たちに劣ったことでしょう。自分と自分を取り囲む才色兼備の女性たちとの差に、何かの折に気づいたスルタンは息苦しさを感じたことがあったかもしれない、ということをふと思いました。

  4.   この衝撃的なエピソードを、わたしは最初、高校生のとき(13~4年前か…)に世界史の授業で使っていた資料集で読んで以来、ずっと忘れずにいたのだけれど、裏を取ろうと調べてみるとどうもはっきりとしたことが分からない。マルクスがスピーチでその件に言及したようなのだが。詳しいことをご存知の方はお知らせいただければ幸いです。
    昨今では英国東インド会社の研究も進み、彼らの主要業務がインド-イギリス間の長距離輸送ではなく、インド-東南アジア-中国間の中距離輸送であったことが分かってきました。当時の輸送技術とそれに起因するコスト、それに引き合う利益から考えて、隣接する地域間での中距離輸送がもっとも利益を上げた、というのはとても納得できます。であれば、イギリス人が主要な産物をあえて失うようなことをするでしょうか? と、わたしはいまではそう思っているのですが、さて。
    歴史上の真実はともあれ、20世紀初頭の人々は上述のコレルの意見をもっともだと思ったことでしょう。

  5.   universalis は名詞 universus から派生した語であり、その universus は「全体の」、転じて「一般の」という意味で、英語の universal とほとんど変わらない。Europa Universalis を直訳するならば「(空間的にも技術的にも)あらゆるところにヨーロッパ(人/的なもの)」ということになると思うのですが、あらゆるところにヨーロッパが進出できたのはそこに元々あった既存の何かを追い払うことができたからで、非ヨーロッパに対するヨーロッパの優位を含意しているものと思われます。もっともその含意は言葉よりも英語版のタイトルCGの方がはるかに雄弁に物語っています。

  6.   というわけで、Asia Chapters です。ごめんなさい。この上、英語版買ったらまたわたしの人生、めちゃくちゃ…。とりあえず資格取るまで我慢我慢。その頃には EU3 出てるかも、だけどね。

  7.   バヤズィト Bayazit 区はイスタンブル大学 İstanbul Üniversitesi に面する街区で書店が軒を連ねる、いわば「イスタンブルのカルチェ・ラタン」です。

  8.   「東京のカルチェ・ラタン」こと神保町の、三省堂のすずらん通りを挟んで向かいにある書泉グランドの2階には輸入非電源ゲームが高々と積まれています。同じフロアでグラビア写真集を売っているので、ちょっと通いにくいのですが。

  9.   わたしも大好きな、DJ・ナレーターとして大活躍中の秀島史香さんが、さるラジオ番組で、歌の「サライ」ってどんな意味? って話題になってリスナーから「キプチャク汗国の都」と教えてもらった際、そのようにのたまっておられました。帰国子女だもの、しょうがないよね。(英語では the Golden Horde 、遊牧民って獣の群れ扱いなのね…。)

  10.   帝室の血を引く子女。つまりプリンセスだが、プリンセスもピンきりである。スルターナは有力な臣下に与えられるが、この結婚では夫の方からは離縁できず、妻は自分の望むときにいつでも離縁することができた。ここにいるからには、オズレムは出戻りなのだろう。

  11.   実際、“冷酷者”は悪名などでは全然なく、クールで力強い君主として今でも大変人気がある。子供に「ヤウズ」とつける親も多い。一方で、「ファーティヒ(征服者)」君や「カーヌーニー(立法者)」君という名前は見たことがないですねぇ。ちなみに“冷酷者”とは、親のバヤズィトを反乱で退位させたこと、苛烈な戦闘指揮、また同宗のエジプトを征服したことで付けられた異名です。

  12.   最初、わたしはこの国の選び方がぜんぜん分からなくて、オスマン帝国ができるのは Grand Campaign だけなんだ、と思ってましたよ…。