心学伝統中的神秘主義問題(1)
 Xinxue chuantong zhong de shenmi zhuyi wenti


イントロダクション

(前略)

「神秘主義」は英語では mysticism といい、西洋の学者はその外延と内包の違いについて若干の説明をしている。一般的にいって、中世のキリスト教神学の伝統において、 mystical というこの言葉は人が達するところの一種の宗教的な覚醒の高い段階のことである。以来、少しずつ比較宗教学者、哲学者、人類学者によってキリスト教の経験と類似するその他の宗教的経験に、さらにはいささかの非宗教的文化現象にさえ用いられるようになり、一つの普遍的な Phenomenological concept [現象学的概念]となった。比較宗教学の立場からすれば、 MysticismMystical experience は「神我経験」ないしは「神我体験」に結びつけられる。神秘経験ないし神我体験は宗教信者が特定の修養方法を経て獲得するある種の高い価値を持つ内面的体験を指す。しかし、西洋的な学術概念ないし範疇をひとたび中国語に訳せば、ある種の相対的独立性を[大きな代償を払って]獲得することになる。「唯物主義」や「唯心主義」のように、みな中国においてはいくらか独自の伝統にたって解釈された。学界において、「神秘主義」は常に各種の民間の迷信を含んでおり、そのため高度な内心の体験を示す Mysticism とは完全には釣り合わせることができないでいる。謝扶雅先生がかつて「神秘」は不適当な訳であり、「我」と「他」との一致を示す「神契」にすべきだと意見された。ただ以下の叙述からもわかるように、「神契」はただ一部の神秘体験に用いることができるだけである。私の意見によるならば、Mystical experience は霊妙な悟りの体験と意訳できるだろう。ただ言葉は習わしになると一般に認められるわけで、人々がいろいろな説を立てればむなしくその乱れを増すばかりであるし、それゆえ改めて訳するには及ばないのである。本文の考察はまさに儒教の伝統において神秘体験 (mystical experience) の問題があるかどうかということであり、この問題は我々に別の角度から中国哲学の特徴を認識させ、中国哲学の多くの重要な思想の命題を理解するのを助けるばかりでなく、我々を儒教の極限へ省みさせ、今の儒教の発展方向をはっきりと認識させる。

比較宗教学者は、世界の主な宗教はその伝統のうちにみないわゆる「神秘体験」という現象が存在していたということに早くから気づいていた。この種の神秘体験の基本的な特徴は一定の修養を通じて得る一種の突発的で特殊な心理体験である。しかしそれぞれの宗教伝統において、この種の体験の内容とその解釈およびそれにともなって生じる感情の形式は全く同じというわけではない。例えばキリスト教の神秘体験の基本的な内容である「神との結合 (union with God) 」では、「体験」は人の内心において得るところの体得、感覚、イメージの組合せを指し、人が自己と神との巨大な格差を超越したと感じること、神と合わさって一つになることを指す。ヒンドゥー教の最高の境地は個体霊魂と宇宙最高の実在であるバラモンとの「梵我一如」に至る体験である。仏教の体験となると、前二者のキリスト教、ヒンドゥー教の体験どちらとも違っている。仏教の最高体験はいかなる最高実在 (supreme Being) にも導かれない上に、霊魂 (soul or atman) の存在も認めていない。いわゆる涅槃 (nirvana) といえば一種の高度な内心体験の境地であるが、自我と超越的存在の融合ではなく、霊魂の肉体からの脱却でもなく、一種の対を成す「空」の洞察と体験であり、「いかなる自分がある」という心霊状態をも克服したものである。

これら宗教体験の差異にかかわらず、比較宗教学の視点から見れば、これらの神秘体験は若干の共通した特徴を備えている。William James は彼の "Varieties of Religious Experience[宗教的経験の多様性]" という書物のなかで、あらゆる神秘経験のもつ4つの特徴をあげている。それは、理で明らかにして聞かせることができない、直感的、瞬間的に獲得する、受動的、というものである。しかしこの4点は基本的に形式上の着眼からのものであり、感情表現の共通性に及ぶ体験の内容まではふれていない。W. T. Stace は神秘体験の研究を深く掘り下げ、神秘体験の基本的特徴が、言葉では言いえない深い真理を有し、矛盾しており、神聖性があり、実在感がある、しかして根本特徴はすなわち「一つになる (oneness) 」という体験であるという見解をもった。彼はキリスト教の体験の「合一」とヒンドゥー教の「同一」には、前者は union、後者は identify という別があるけれども、一種の区別なき単純な事理をわきまえないことを体験することだという見解を持つことができる、と指摘した。そして、仏教の体験は一切の思考・感情を排しており、その結果もやはり一種の単純な事理をわきまえないものとなっている。Stace は一歩進んで、この種の「合一性」のそれぞれの表現を拠り所に、一切の神秘体験は大体において2種類にまとまる、とも指摘した。すなわち外向的神秘体験 (extrovertive) と内向的神秘体験 (introvertive) である。彼は世界のあらゆる神秘体験を比較した後、次のように述べた。この2種類の神秘体験はそれぞれ7つの特性を持っている。そのなかで5つの特性は両体験に共通する。それは神聖性、実在感、静けさ、喜びないしは興奮、言葉で諭しえないことである。両体験の共通ではないものとは、外向体験の体験に至る宇宙万物の渾然一体 (all things are one) と、内向体験の体験に至る純粋意識 (pure consciousness) である。この種の無差別的な純粋意識とは、自己イコール全体の実在であると感得することであり、一切の時間的・空間的差異を超越することである。Ninian Smart は神秘体験の典型的な特性は、永遠を感じることに到達し、さらに全く新しい世界観を獲得する、言葉では言いえない大きな快楽であると指摘した。Ben-Ami Scharfster らは神秘体験のテクニックについて討論し、神秘体験の重要かつ基本的な方法は自我抑制であるという見解をもった。具体的には集中 (concentration) 、呼吸の調節、瞑想 (meditation) である。

比較宗教学の研究によれば、神秘体験とは、人が一定の心理コントロール方法を通じて到達する一種の特殊な心霊を体得する状態を指し示す。この種の状態においては、外向体験をする者は万物との渾然一体を体得し、内向体験をする者となると時間・空間を超越した「自我意識、すなわち全体としての実在ということ」を体得する。しかして神秘体験に至る者ことごとく、主客の隔たりと一切の区別の消失を体得するに至り、同時に大きな興奮、喜びと崇高感を伴う。宗教者はそれを非常に重視し、かねてよりこれを教義の経験的実証としている。心理学者 (J. H. Leuba のような Psychology of Religiousmysticism) は、神秘経験は潜在意識の支配を受けており、特定の条件における心理反応あるいは心理の錯覚であるとしている。しかし比較文化と比較宗教の研究は、いずれにしても神秘経験は一種の重要な意識現象であり、重ねて普遍的な各種の文化の発展に影響した、と表明している。

 本文の儒教における神秘体験の探求は、基本的に一種の phenomenological description of mystycal experience [神秘経験の現象学的叙述]によるものである。説明するのが当然であるが、私は本文において神秘経験を討論することを趣旨とし、古典儒学、特に宋代・明代の理学に含まれる神秘主義の伝統を確認してきたが、しかし神秘主義は儒学の主導的な伝統というわけではない。相反して、私が見てきたところ、理性主義はずっと儒教の主導的な伝統であって、批判的に継承・発揚されるべきものであった。


明代の心学における神秘体験

論述を容易にするために、本文では倒叙の方法を採用する。すなわちまず明代の儒教の神秘体験を討論し、しかる後に再び宋代以前にさかのぼる。これは明代の儒教の神秘体験がもっとも充実しており、記述も比較的詳細だからである。

かつて黄宗羲は「偉大なる明に学問は、陳献章に至ってはじめて高レベルに達した。その修養の要点はもっぱら静座にあった。」と言った。陳献章は自らの学問について[次のように]述べている:

私は才能が人に及ばない。27歳になって、はじめて発奮し、呉聘君にしたがって学ぶことにした。…このようなものもまた何年にも渡ったが、まだ得るものはなかった。いわゆるいまだ得ないというのは、私の心とこの理がぴったりとくっつくところがなかったということだ。ここにおいてあの繁雑なものを捨て、自分の集約したものを求めて、ただ静座した。しばらくして、しかる後に私の心の本体がぼんやり姿を現し、いつもそこにものがあるようだった。日用のさまざまな応酬に、私の望むところにしたがって、馬が轡を噛んだようなものである。

陳献章がここで言っているのは、静座というまさに一種の基本修養方式を通じて獲得した内心体験である。儒学におけるこの種の静座体験は典型的な意義を備えている。上述の体験について言えば、その特徴は「心の本体が露になること」である。この種の経験が少ない人[自分のこと]について言えば、それでは何が「心の本体が露になる」ということであるか的確に説明することには一定の困難が伴うのだが、しかし基本的に、これは「内在的神秘経験」いわゆる純粋意志の具現に近いものがあると断定することはできる。「心の本体」は心の自然のままの状態、つまり本来の状態を指すのであって、宋代・明代の儒学者は静座して心の中の思いを排除し、心の未発の有り様を観察しながら、この「心の本体」の具現を求めているのである。陳献章は、修養を行うには「静けさのうちから手がかりを養い出すべきである」と主張したが、これはほかでもなく meditation を通じて獲得する「心の本体が露になる」経験を学者に要求したものである。陳献章は違う種類の神秘経験ももっていたことがあり、[以下のように]彼は言っている:

私からすべての変化が出て、私が天地を打ち立てる、したがって宇宙は私の内にある。この取っ手を得れば、さらにどういうことがあるだろうか。往古近来、四方上下、みな一斉に穿って紐で通し、一斉に片付ける。

この種の境地は自我と宇宙の合一たる神秘経験で、いわゆる「往古近来、四方上下、みな一斉に穿って紐で通し、一斉に片付ける」というのはまさに時間を超越した感受を指しているのに違いない。この種の神秘経験の修養努力とは、すなわち陳献章の言うところの「取っ手」である。

王陽明の学問が極力主張するのは「知行合一」と「致良知」であるが、しかしそのはじめに手をつけたのは神秘体験から得たものである。王陽明は弘治年間に、洞に入って静座し、導引の術を修め習った;

(中略)(2)

王畿は、王陽明が陽明洞天(3)で静座を修め習って神秘体験を得た経歴を[以下のように]述べている:

道教・仏教の学問に打ち込んで、陽明洞天に研究室を造り、日夜懸命に勤め、鍛え、凝らしていき、重要なことをよく理解するようにした。[それは]その学問でいうところの「見性(4)」「抱一(5)」の趣旨において、ただその意味に通じるだけでなく、その真髄を手に入れるということである。自ら次のように述べた、かつて静けさの中で自分の身体が内側から照らし出され、あたかも水晶宮のようであった。自分と物の区別を忘れ、天地の区別も忘れ、虚空と一体になり、不可思議な輝きを帯び、掴み所なく様々に変化し、思案しても何と言っていいのか分からない、それこそ真の境地であった。異民族の居住地[貴州の龍場]に住んで苦しい状況に身を置くに及んで、ぐっと我慢するあまり、ぼんやりと霊妙な悟りを得て、人間関係・社会関係の自分の感応を離れず、正しいことは正しく、誤りは誤りであるという天則が見えてきた。(『龍渓先生全集』第二巻)

この中の「自ら述べた」とは王陽明のいう自分の体験を指しており、王畿のこの言は王陽明から得たものであるから信じるに足るものであり、ここから分かる通り、王陽明も天地万物と一体になるという神秘体験を得ているのである。

黄宗羲が大明の朱子学を論じているが、これもある朱子学の祖述をしているに過ぎない、と言った。また高攀龍の言葉を用いて、薛敬瑄(6)・呂涇といった人は徹底した悟りを得ていないと言った。実際には朱子学はこういった「徹底的な悟り」といった体験に反対している。これと好対象を成すように、陽明学者は非常に悟りということをよく言っている。王陽明の妹婿の徐愛が言うには:

私が先生に学び始めた頃は、
(中略)(7)
その後ぼんやりと何か分かったような感じがして、すでに大いに悟り、喜び勇んで踊り出した。「この道が本体であり、心であり、学問である。」と言って。

徐愛はこの身に生じたことについて「わが身に確かめる」工夫はどのようなものかをはっきりは語らなかったが、「ぼんやりと何か分かったような感じがして、すでに大いに悟り」心の本体・道の本体を見ることができ、手が舞い足がタップするほど嬉しがったのは、当然一種の神秘体験であると言える。  王陽明の弟子である聶豹は、嘉靖年間に獄に投じられたことがある。『明儒学案』に載っているのは[以下の通り]:

先生の学問にあるように、獄中は極めて長く静かであった、すると突然心の本体が見えてきて、全てのもの光明を発したようにはっきり分かった。これに喜んで「これこそ未発之中(8)である、これを守って失わなければ、天下の理は皆ここから出てくる。」と言い、出獄して、門弟らに静座法を中心に教え、未発之中に沈潜しいって心の本体を掴むことで外界に対応させた。

聶豹の「突然心の本体が見えてきて、すべてのもの光明を発したようにはっきり分かった。」という体験は儒教の神秘体験の内容を典型的に表している。静座から体験に至るこの方法を中国哲学では「帰寂以通感」と呼んでいる。

同時期の羅洪先は聶豹を模範としていたのだが、聶豹の学説は静かなることをもってメインとしており、王陽明門下の人々には[羅洪先は]禅で悟っているのだと謗るもの者いて、彼が「未発之中」の掴み方を神秘体験にとって代えてしまったのだと考えられていた。羅洪先は反って「双江[聶豹のこと]の言うことは、本当に雷が落ちるような[すぱっとやる、大した]やり方である。」といい、結局のところ羅洪先もまたはじめは禅学から入ったので、「石蓮洞を開いてそこに住み、シングルベッド[半榻]の上で黙座し、3年間そこから出ず、予知能力が身についた。」;「[羅洪先]先生はかつて『楞厳経』を聞き、そうした[『楞厳経』の]反聞の主旨を理解し、この身が太虚の中にあると感じ、見聞きすることは世界の外縁に及んだ。人は彼を見てその風采に驚いたので、先生が自省して言うには、『誤って禅定に入ってしまった』ということだ。」しかし、彼はその後やはり方以時の「聖人の学問をするものは静の中から手がかりを掴んでこそ初めてよろしい。」という方法にしたがって夜座の修養法を実践した。彼の修養は終始正座による体験を貫いたものであったことがわかる。方以時は陳献章の「静の中で手がかりを養う」とあるのを「静の中で手がかりをぼんやりと見る」に改め神秘体験の方法をさらに明確にしていった。羅洪先はかつて自らが会得したものについて述べている:

限り無く静かなとき、はっと自らの心中に虚無のようなものを知覚するように思う。それは果てしなくとどまることを知らぬ、大空を薄く流れていく雲のように、私の傍らを通りすぎていく。大海の魚や海蛇に変化するように、古今東西のあらゆるぼんやりとしたものが一つになる。いわゆる無は存在していながら一方で存在しないように、私の身体はその発する穴であり、私はそれを身体の中に閉じ込めておくことができない。

聶豹の「内向体験」と違って、羅洪先は「外向体験」を詳細に叙述した。いわゆる内向や外向は、体験者の意図のベクトルの不一致を指すものではなく、体験の内容と結果が宇宙をメインとするか、自分の意識をメインとするかの不一致を指すものである。陳献章の体験も古今東西すべてのものを一斉につかみ取るものであったが、彼は「天地は私が立て、万物は私より出でる」と強調し、つまり自らの意識をメインとしている。一方羅洪先の述べるところはいかなる純粋意識としての自我も存在せず、全宇宙が渾然一体となって、内外・動静・間隔がなく、一切の時空の別を超越し、体験は真の無限の境地に達している。これは明らかに一種の神秘的心理体験である。羅洪先の例からはさらに仏教・道教の静座による体験が宋代・明代の儒教の発生に大きな影響を与えていることも明確に見て取れる。

王陽明の別の弟子の一人、王畿は四無之説を持っており、彼は「無善無悪」を心の本体となすことを主張しているが、「空」についての神秘体験を基礎とする仏教に似ている点があるようだ。修養の方法上において彼は「静の中で精神を収斂させ、心と呼吸を互いに依存させ、徐々に入っていく」と主張し、静座による呼吸法を重視しており、その目的も大体悟りに入ることにある。彼はかつて言った:「王陽明門下にはまさに3種の教えの悟りの入り方がある。知的理解から得たものを、解悟(9)といい、いまだ言葉から離れずにいる;静けさの中から得たものを、証悟(10)といい、なお静かであるという環境に依存するものである;世間で心身を練り直して得るものは、言葉もそういった周囲の環境も忘れ、至る所で心の本体に接し、ゆらゆらと揺れ動けば動くほどに静寂を凝らし、はじめて徹悟する。」見てきた通り、王畿といえども「静けさの中での証悟」をもって最高の境地とはしないものの、王陽明一門の悟り方の一つとして承認している

王畿の弟子である万廷言(字は思黙)もまたかつて羅洪先に学んだ。万廷言がまさに王畿に向かって自ら述べたその体験は[以下の通り]:

静座から学び始めた頃;混沌の中に押し黙って、静寂にへばり付かず、自分の本体にこだわらず、呼吸も数えず、ひたすらこの心を収斂する。私が苦しんだものは心の想いが[降りしきる雪のように]乱れ飛び、とりとめもなく変化して目茶苦茶に突き進み、おとなしくさせることもできずに、ぐるぐる回り畳み重なって静かになる。しばらくして、ぼんやりとこの心が不動のものになったことを感じ、両3日のうちは痴者と同じようになって、気持ちはたちまちおさまり、何となく一物が胸中に露になっているかのようであり、しばらくしてから光明を発した。私はこれが陳献章のいう「静けさの中でぼんやりと手がかりを養い出す」に違いないと喜んだ。ここにおいてきちんと足を据えることができれば、虚空をつかんだということだ。内に光明を、外に虚空を感じ、そうして内を外と合わせると、この宇宙、四面の虚空は、すべて光を含み、すべてがこれらの子供を孕んでいるかのようだ。いわゆる「徳を凝らして道に至る」に似た実証がここにある。

万廷言は静座し、王畿の「精神を収斂する」方法に従ったが、初めて学んだときには雑念が混乱することが反っていつもより多くなった。しばらくして静寂に入り、突然内心に一種特別な状態が出現して、この種の状態にあって、ちょうど何かが露になったようである。同時に一種の光明感を伴いながら。彼はこれが陳献章の「心の本体の露呈」体験の再経験であると確信した。黄宗羲が万廷言が自らの学問を序したのものを述べた:

未熟なうちは意識的にこの心を収拾することを知った。甚だ思いを強くして、押しとどめがたいことに苦しみ、ひたむきに静座し、少しばかりしてこの中に恰好の休憩所があると感じた。…幸なことに故郷に戻ってくることができて、ますます静寂を得るために閉じこもり、自らの心を静かに知った。ずっとやっていたら、いい加減な心がこそげ落ち、ここにまさに真の心の働きがあると感じ、まさにはっきりしない自己の実体と気がいるだけだと、もしくは思いあるいは思わず、澱んだ深いところまで見通せるほど澄み切って、周囲にはがらんとして果てがない。…

万廷言が関わって究めたこの学問は数十年におよび、長いことかかって、彼の体験するところの「澱んだ深いところまで見通せるほど澄み切って、周囲にはがらんとして果てがない。」が「心の本体」についての体験を指すのであって、彼が初めて学んで静座したときにぼんやりと露になった心の本体に比べて一歩進んだように思う。  胡直(字は正甫)も羅洪先に従って学び、羅洪先は彼にその静座を教えた。彼が言うには、羅洪先は陽明学を信じきっているわけではなく、若い学者には専ら静をメインとし、欲をなくすべきだと教えていた。後に胡直も鄧鈍峰(魯)に禅を学び、彼は『固学記』の中で[以下のように]自ら述べた:

ベッドに腰かけたり、地面に敷いた筵に座ったりして、いつも夜は静座をする。そして少しだけ眠り、また鶏が鳴く頃に静座する。その実践は心から雑念を除くことをメインとし、完全なる本性を再認識することが究極の目的である。外界のことに気を取られて忙しく走り回ったのも久しくなり、初めて座ってから1~2ヵ月経つと、寝ても覚めてもさまざまな異常な物事を見るようになってくる。鄧鈍峰が言うには:『それは6ヵ月くらいになると静かな状態を得ることができる。』ということだ。ある日のこと、心に思うことがあって忽ちのうちに悟りを開いた。自分に雑念はなく、天地万物すべてがみな自分の心の本体であるということに思い至った。思わず『天地万物は私の外にあるのではなかったのだ。』と慨嘆してしまった。

胡直はこの体験後に鄧鈍峰にそのことを話すと、鄧は「君の本性は露になったね。」と言った。胡直は大変喜んだ。だがやがて「ある原因から、もやもやした考えが起こってきてしまって、初めの悟りを失ってしまった。」そこでもう一度やってみようとした:

ある日みんなで九成台で遊んでいるとき、ちょうど身を起こそうとすると、忽ち自分の外に天地万物はなくなる。[これは]子思の「上にも下にも儒教の道理は明らかだ」や孟子の「自分の身体に万物すべてが揃っている」、程顥の「混沌として万物と自分とがすべて一体になる」、陸九淵の「宇宙とは私の心である」などに照らし合わせてみても、そこに意味の不一致はなく、前に見たものに比べれば、驚くほどに突き通った悟りであった。

胡直の体験もまた大変に典型的であり、基本的な筋道も静座によって得られている。いろんな思慮を振り払って、極めて静かなときに突如として一種の悟りの境地を獲得した。彼が体験して得たところの「天地はみな私の心の本体にあって、万物は外のものではない。」は大体において人格と宇宙の合一の経験に類似する。とりわけ、彼は儒教における[神秘]体験の子思・孟子以来の伝統を自ら語り、この種の実践こそが彼に確かに深い造詣を得させるのだと表明している。

蒋信(号は道林)もかつて王陽明と湛若水に学んだ。『明儒学案』にはそれがある:

先生はまず、『論語』と『定性書』、『西銘』を読ませ、「万物は一体である」ということが四書五経を研究する学問の拠って立つところであると理解した。32~3歳のとき肺を患い、道林寺で静座した。しばらくして、死を恐れる心と母を想う気持ちが全く絶たれた。ある日、忽ちにしてがらんとした宇宙がすべて我が一身に属していることを悟り、程顥の「別け隔てなくがらんとしている」、「内外がない」とはこういうことであり、「自分自身と万物は同じなのだ」とはこういうことなのだと信じた。

宋代・明代の儒学者には体が弱く、病を患って仏教・道教に従って修養を修めた蒋信のような者が多かった。初めはただ養生しようとしたに過ぎないのだが。しかし仏教の禅定、道教の調息はどちらも大変容易に神秘体験を引き出してしまい、体験者はすっかり習熟してきた四書五経にある儒教の先達の言葉を実証しえたことによって、[両者の]合うところがあればすぐにこれは証悟であると信じ、教えとして打ち立てた。王陽明の別の弟子に王艮というのがいて、王陽明とまみえる前に1幕の経歴があった:

先生は学問に集中して勉強する時間がなかったが、黙々と研究を続け、経典と悟りを相互に照らし合わせることを続け、数年を経ると、誰もその悟りのレベルを伺い知ることはできなくなった。ある夕方、夢を見た。空が身を押し潰し、万人が救いを求めて泣き叫びながら走り回っている。先生は腕を上げて空を起こし、順序が乱れてしまった太陽・月・星辰を見ると、両手でこれを整えた。雨のように汗を流して目覚めると、心の本体を知りぬけるようになった。正徳年間の6年のうちに、仁とともにあること3日半にも及んだ。ときに29歳のときのことである。

『王心斎年譜』には、彼が27歳で「黙座して自分の道を確かめ、分からないところがあれば、夜に日を継いで、寒いときも暑いときも休むことなく、沈思し続けた」とあり、29歳のときに彼は普段のように黙座して沈思した結果、夢で悟った、ということが知れる。王艮のやり方はやはり黙座をメインとしているが、よりテーマに取り組もうとする方に偏っている。結局のところ、彼の「心の本体を知りぬく」もまた一種の神秘体験であること疑いない。

王陽明一門の中にはこの種の体験の実践を重視しない者もいる。例えば雛守益の学問は「敬(11)」によって多くの力を得た。彼は「そもそも心の流動する姿が本性の現われであるということは、仏教徒にも分かるのだ」ということを深く知り、仏教徒もまた神秘体験を通じて本性の現れを証したのだと思っていた。彼の著作『青原贈処』に[王畿の]「無善無悪之説」は記されていないが、この種の体験に反対する意義については含記されている。しかしその子の雛穎泉の学問については、黄宗羲の説によれば、「深遠なところまで通じると、かえって幻覚症になる」という類のもので、ここで言う幻覚症や、深遠なところまで通じるというものは、みな神秘体験を趣旨とし、一歩一歩行う誠実な実践に注意を払うことを失念してしまっているということを示すものである。雛穎泉の子の雛徳涵もまた、自ら修め、大変に苦しんだ。「家に帰って一室に閉じこもると、寝食を忘れて打ち込み、実体としての身体は痩せ細っていった。…しばらくして、突然、まるで天窓が開いたように真実を知りぬいた。陸九淵の言うところの『かの理がついに現れた』だ。」という具合である。黄宗羲はこれに関して、父の幻覚症よりもさらにひどいと言っている。

明代儒学において、自己の体験をもっとも詳しく記述したのは高攀龍である。彼は学問には4つのメイン・ステップがあると述べた:25歳のときに顧憲成の講演を聞いて、初めて学問を志した。まず朱子の『大学或問』に習熟して、道に入るには「敬」が一番だと思った。「若い頃は慎み深く控えめにすることに力点を置き、胸中に注意を払った。しかし気は晴れず、窮屈な思いをし、思うままにならないことが甚だしかったので、止めてしまい、また前のように散漫になってしまった。どうしようもないことだ」。彼が手を付けたのは、まさに呼吸法による「敬」であったが、まるで効き目のない気功師のように得るところがなかった。科挙合格後に「冬至の、朝天宮[道観の一つ]で振る舞い方を習い、僧房で静座していたら、自然と本体が見えてきた。『邪まな気持ちを防ぎ、真心を保つ』の句を思い出し、すぐさま邪まな気持ちがなくなり、完全な真心が残ったので、そんな真実を捜すには及ばないことに気づいた。まとわり付いたものを取り去ったような快さが一瞬訪れた。これが彼が初めて静座から得たもので、体験は喜びと解放感に至っている。彼の自然と見えてくる本体とは、本心のことを指している。また、数年後に[広東省の]掲陽に赴くとき、杭州の六和塔を過ぎると悟りがやってきた。船の中に一席設けて、発奮し修練して、「[自らを]厳しいスケジュールを立てて、半日間静座して、もう半日間は読書をする」。静座の中でぴったりとこないところはとは、ただ程顥・程頤・朱熹の示す方法をもって、それを参考に心の中の兆しを究明し、「『敬』でもって静けさの中に沈潜する」、「喜怒哀楽の中に『未発之中』を見る」、「黙座しつつ心を澄まし、天の理を理性的に悟る」などを一つ一つ実行していく。「寝ても覚めても、片時も投げ出さず」、夜でも服を脱がずに、はなはだ疲れて眠くても、一眠りしたらまた座る。いろんな方法を何度もくり返したり取り替えたりして、心と気持ちが澄み切ったときには、あたかも天地の間に自分が塞がったような気がしたが、ただいつもこう上手くいくわけではなかった。」彼は宋代儒学のさまざまな静けさの中における実践をみな持ち込んで、一つ一つ試してみた。しかし本性の得かたが依然として静けさをもってメインとするやり方に属しており、真の体験に至ることはなかった。舟で行くこと2日、[福建省の]汀州を過ぎるころ:

陸に上がって、ある旅館に着いた。小さな楼台があって、その前には山があり、後ろには谷川がある。楼台に登ってみたが、大変楽しかった。かつて程顥はこのように言った:「百人の役人に一万の仕事、百万の兵器軍装があろうとも、水を飲んでひじを曲げて[眠る]こと、楽しみはそこにこそある。表面上はさまざまに変化するが、すべて[の変化]は人に依っているのであって、実は何事もないのだ」。あるまとわり付いて離れない思いが断ち切られた。まるで天秤棒の両端に掛けた50㎏の荷物が、ぱっと地面に落ちるように。また電光が閃くように、非常な明るさが身体の表面に現れて、ついに偉大なる造化と融合し、[その2つの]境目がなくなって、神と人間、内と外の隔たりもなくなった。ここにおいて上下四方すべてが心であることがわかり、胸のうちこそは小宇宙であって、心はまたその中心である。不可思議でいて聡明で、それらのすべてが筆舌に尽くしがたい。[私のような]草深い[田舎に住む]卑しい学者は偉そうに常々悟りについて語っていた。このときまでそれが普通のことだと思っていたのだ。だがこれからようやく修行がしやすくなるのだと知った。

高攀龍の瞬間的な悟りも静座による実践の基礎に依っており、その中心も長年参考にしてきた「心の重点は胸のうちにあり」というテーマに取り組んできたことに含まれている。彼の心の偉大なる造化との融合とそれらの境界の消失とは、宇宙と一体になるということである;神と人間、内と外の隔たりもなくすとは、すなわち一切の区別がなくなり除かれる体験である。彼の「電光が閃くように、非常な明るさが身体の表面に現れた」とは透徹した悟りの神秘的な性質の現われである。劉宗周が彼に半分禅が混じっているじゃないかと言ったのは、これを指しているのである。


むすび

心学における神秘体験は孟子にまで溯ることができる。孟子は「自分の体に万物すべてが揃っていて、身は転じて心の本体となり、これより大きい楽しみはない」と言ったが、結局のところどうして自分の体に万物すべてを揃えることができるのか、現代の学会で常に論争がやむことはないが、宋代・明代でもこのようであった。程景頁、程頤、朱熹はいわゆる「万物」を「万物の理」と解釈したが、これは孟子の命題が理性主義哲学家たちを困惑させたことを表している。以上を本文で述べたのは、神秘経験の角度から孟子の話を完全に理解するだけでなく、それが一種の水源地となって大きく後世の儒教の体験の内容と解釈を規定している[ということを理解するためである]。陸九淵は言うまでもなく、楊簡[号は慈湖]もかなり慌てふためいて叙述している。陳献章の「私からすべての変化が出て、私が天地を打ち立てる。したがって宇宙は私の内にある」、聶豹の「この心の本体、そしてすべてのものが光明を発したようにはっきりと分かった」、胡直の「天地万物すべてがみな自分の心の本体であるということに思い至った」、蒋信の「がらんとした宇宙がすべて我が一身に属している」などなど、すべて同じタイプの体験を叙述している。「身は転じて心の本体となる」といっても意味不明な言葉である。ただ「内観」の表現としてはそれほど悪くはないが。孟子の「人の心に宿って不屈の道徳的勇気となる天地に満ちた大きく強い根元の気をよく養う」と呼吸法は合い通ずるところがあり、またまさに肯定すべきものである。さらに「これより大きい楽しみはない」は一切の神秘体験に普通に見られる愉悦感を表している。このように以上の解釈から儒教における神秘体験のこれまで見てきた一般的な特徴を理解することができるが、これは牽強付会ではない。

儒教の神秘体験は、その基本的特徴から以下のようにおおよそ述べることができる:

  1. 自我と万物との一体。
  2. 宇宙と精神との合一、あるいは宇宙万物がすべて心の中にあるということ。
  3. いわゆる「心の本体」(すなわち純粋意志)の現れ。
  4. 一切の区別の消失、時間的・空間的超越。
  5. 突発的な悟り。
  6. 著しい興奮、愉悦など、強烈な精神の動揺と生理的な反応(全身発汗)。

これらの特徴と比較宗教学者の研究によるあらゆる宗教における神秘体験は基本的に一致している。

神秘経験を把握するために内向・外向に区分するのは、何も Stace に始まったことではなく、多くの学者が異なる学術用語を作っては同じような区分をしている。Rudolf Otto などは神秘主義を把握するために inward wayoutward way に区分した;Evelyn Underhillintroversionextroversion の2者に分別した。両種の神秘経験の区分は理論上慎重なものではなく、明瞭でも確定的でもない。その基本的な差異は、内向神秘体験の内容は本当の心であり、外向神秘体験の内容は宇宙である。儒教の神秘体験もおおよそ両種に分けることができるが、外向体験は「天地と万物が一体になる」が代表的であり、内向体験は「宇宙はすなわち我が心である」と「心の本体の露になる」の2種類に分けることできるようである。儒教で神秘体験を実現するための基本的な方法は静座であり、「澄まして黙り内を観る」、「静けさに立ち返って情感に通じる」である。

「心の本体の露になる」は、仏教の禅宗でも知られている(鈴木大拙の説明を参照することができる)。その人は一切の思想、情感、欲望、外部世界に対する感覚などを排除したわけだが、何が残るのであろうか? ただ純粋な意志の本体があるだけである。その本体とは矛盾そのもの (paradox) である。神秘体験はある種の確実な経験であるにもかかわらず、この経験には確定的な内容がないからである。それは意志ではあるが、いかなる内容もない意志である。西洋人はそれを純粋意志 (pure consciousness) ないし純粋自我 (pure ego) と呼んだが、中国の先達は「心の体」、「この心の真の体」、「心の本体」と呼んだ。「純粋」とはそれにいかなる経験的な内容もないことを示している。それは単純な思弁の産物であり、規定のない集合体であって、暗黒の哲学に過ぎない。

「心の本体が露になる」に比べて「宇宙とはすなわち我が心であり、我が心とはすなわち宇宙である」は1つ手渡すものが多い。ヒンドゥー教の体験において、人は多くが純粋意志の本体に至る体験をするが、その上主体と客体の境界の超越まで感じ至る。純粋自我と「バラモン」が同一となるわけで、つまり個体である小さな我と宇宙の終極的実在である大きな我 (universal or cosmic self) とが同一となるわけである。

Stace はかつて無差別的な単純性が内向体験の本質であることを強調し、いわゆる「空」、「無」、「純粋意志」はみな One or Oneness の異なる言い回しに過ぎないという見解をもった。この説の通り、その違いを見たことがない。実際に、同様の静座瞑想の方法を採用して、異なる体験を獲得しても、主体の潜在意識における決定はほとんど同じであり、体験者はある決まった目的の体験をする。同様のあるいは似たような自分を確立するための修養においても、キリスト教徒の体験なら神と一体になることができるのに、理学者は事物と一体になるのである。;仏教徒の体験は「空」であり、心学者の体験は「本心」である。かくして実現される境界もそれぞれ同じではない。だから、2氏の影響によるが、儒教自身が神秘主義の伝統を受け入れたのにもかかわらず、陸九淵の学問も王陽明の学問も「禅」といわれるものを把握する際に根本的に勘違いしてしまった。論ずるまでもなく動機や結果から言って、心学の神秘体験が追求するのは霊魂ではないし、空や無、あるいは最高存在でもない。それは一種の精神の境地である。

馮友藍先生はかつてずっと早くから程顥こそ宋代・明代の心学の創業者であるといっていたが、彼の論は基本的に「形而上」と「形而下」の区分に着眼してそうであるかどうかに依拠しており、この一点に研究に値するかどうかもかかっている。本文で論じてきたところに見ることができるように、程顥の思想と修養方法は確かに関連ある後世の心学には発展を促した。この点はしばらく置くとして、はっきりしているのは、孟子の学問以来標榜してきた、神秘主義の伝統の受容が宋代・明代の心学を発展させたということである。神秘体験はこの一派の凡俗を超越し聖境に入るための基本的なベクトルであり実践の一つであるばかりでなく、この一派に一つの心理経験の基礎を提供した。しかし、心理体験には極めて大きい偶発性があり、それには普遍的な規範を通じて伝授することができず、必然的に各人の独自の体験を経て、さらに比較的長時間の修養と鍛練を積まなければならない。したがって、鶴翔庄[地名?]の気功から自発的に得られる成果と違って、それは一般人がすぐに把握できるような簡単な規範しかない訓練を遵守するだけで得られるものではない。見てきたことに相反して、この種の体験は長い間保持することができず、持続期間は大変短い。だからいったん失った後はまた大変な苦労をして新たに獲得する(胡直のように)。このように、この種の内心の体験は道徳的な修養の一種の方式であるのだが、その普遍的な有効性と信頼性に疑問を抱かざるを得ない。まあ、手をつけただけで生涯の利益を得る人もいるようだが。この種の神秘体験の主要な特殊性は一種の主観的な心理現象である。体験者は把握するに至った真の客観的実在を説明することがないのだ。中世ヨーロッパにおいて操をも守る婦女子の多くがイェス=キリストを想い慕うちに、彼に逢い抱擁していたのと同じように(12)。ただこちらの経験は事実ではないのだが。現代の心理学者は催眠術と服用薬剤を使って、神秘体験の境地に至らしめることができる。ここに[以下のことを]表明する。今日の科学の発展を踏まえて、我々は儒教の神秘体験をじっくり見るために完全に理性を取り戻さなければならない。

全く疑いなく、孟子から陸九淵・王陽明に至るまで、道徳的な主体性、良心の自覚を突出させたために、儒教は大きな貢献をなしてきた。しかしそれらは形而上の意義として、「自分の体に万物すべてが揃っている」、「人徳のある者は万物と一体になる」、「宇宙とはすなわち私の心であり、私の心とはすなわち宇宙である」、「心の外には何物もない」などなど、すべて神秘体験と関係するものを具えてもきた。心学に対して、我々は[以下のように]問うことができる。良知に致る、知識と行動を一つにする、四隅を拡充する、志を弁ずる、心を尽くす、これら道徳実践はきっと「自分の体に万物すべてが揃っている」、「宇宙とはすなわち私の心である」を基礎として必要としてきたのではないか? 言い換えれば、神秘体験に多様性などはないのに、我々は儒学者の主張する道徳的な主体性を打ち立てることができるだろうか? そして儒学者の形而上学を打ち立てることができるだろうか? これに対して、昔も今も儒教の理性派の言うところは当然肯定的である。もし我々が中国の「哲学」を再建するとすれば、それは一方向的なものになるだろう。近代の心学において、熊十力[人名?]の哲学はすでに神秘体験に完全に依存することなく全く新しい方式で自己の本体を打ち立てている。

哲学史上から見て、孟子・陸九淵・王陽明ら一派の体験の学問は、西洋の哲学の特殊形態として別のあり方を提示した。それはいわゆる「主観唯心主義」でも、いかなる「唯我主義」でもない。牟宗三先生はかつて「境界形上学」の境界を用いて老子の説明をしたが、その説は大変すばらしいものであった。これに似せて、我々は心学を一種の「体験的形上学」と言うことができる。体験ないし体悟ははまさに人類の思想的活動の一つの方式であり、神秘体験は人類の体験において極端なものの一つである。張岱年師[人名?]もまた早くから体悟・証悟を中国哲学の特色の一つであり、神秘体験はまさにこの種の特色の極限を示している、として重ねて指摘している。この種の典型は、まさに中国美学一様のようである。前近代の哲人は文字を用いて常々自己の体験から得たことを記述し表現したが、後世の学者にはこれら文字を介する必要はほとんどないばかりでなく、この種の内在的な経験に共通する個人的な実践を介する必要もなしで、一種の精神の境界に至ることが期待できるのだ。したがって、それは「反映」も「客観世界」も必要とせず、ただ「表現」と自己の「主観世界」を必要とするだけなのだ(李沢厚、『中国美学史』、第一巻を参照のこと)。これは中国文化と中学哲学の特徴の一つであるが、ただここでは詳しく論ずることはできない。当然、中国美学のすべては表現されていない。それは中国哲学のすべてが体験されていないのと同じである。ただこの一体験の充実した発展がこの一文化の特色の一つを構成していることは言える。

神秘主義の問題は多くの問題に波及してきた。それは哲学上の一般的な直感と体悟の関係であったり、思想史上の反知識主義の関係であったりしたが、すべてがさらに研究を一歩進めることになった。さて、本文の主な仕事はすでに完成しているので、ここで筆をおいても構わないだろう。


  1.   本文原題為《神秘主義与与儒学伝統》、写于 1987 年 2 月、后載《文化:中国与世界》 第 5 輯、三総書店、 1998 年版、第 28-57 頁。此文是我当時在哈佛大学着手陽明哲学研究所作的准略工作之一、今附于此、改題為《心学伝統中的神秘主義問題》、可以使読者更全面地了解明代心学及陽明思想的某些特貭。因為已有此文、故本書正文部分対陽明思想中的神秘体験問題未加特別討論。

  2.   この部分は私が授業を欠席したために16行分まるまる分かりません。(すでに中国語を忘れて久しいし…。)
    原文は以下の通り:

    后在常徳、辰州青数人静坐、自云:“茲来乃与諸生静坐僧寺、使自悟性体、願恍恍若有可即者”。《年譜》記其龍場悟道云:
     日夜端居黙坐、以求静一。久之、胸中洒洒。……因念聖人処此更有何道。忽中夜大悟格物致知之旨、寤寐中若有人語之者、不覚呼躍从者皆驚。始知聖人之道、吾性自足、向之求理于事物者誤也。
    黄綰為陽明所作《行状》亦云:
     公共于一切得失栄辱皆能超脱、惟生死一念尚不能遺于心、乃為石廊、自誓曰:吾今惟俟死而已、他復何計!日夜端居黙坐、澄心精慮、以求諸静一之中。一夕忽大悟、踊躍若狂者。
    依《年譜》所説、陽明悟道似乎是参話頭所得、但据《行状》、端居黙坐、澄心精慮、求諸静一、還是以静坐的方法、去除内心一切思維欲念、使注意力完全集中在内心、這種“吾性自足”的体験還是白沙一路的性体呈露、他的“忽大悟”和“踊躍若狂”更是神秘体験的基本特征。陽明雖不以種神秘体験為宗旨、但認為由此入手、也是聖賢工夫。

    下線部分は、確認していない訳があります。(あまり意味が通じませんね。)

     一日中何もしないで無言で座るのは、静けさを求めるためである。しばらくして、胸中はさっぱりとしてわだかまりがなくなる。…思うに、聖人たらんとすればここに身を置くこと以上にどんなやり方あるだろうか。突如として夜に「格物致知」の本質を悟り、寝ても覚めても、もし人語の者があれば、間違えることがなく、したがって人々はみな驚く。聖人の道を知り始めることとは、吾性を自足し、理をひたすら求め、事物において誤りのない者のことである。
  3. 陽明洞天: 道教の三十六洞天七十二福地と呼ばれる不老不死の世界の一つ。

  4. 見性: 仏性に目覚めること。

  5. 抱一: 道を自覚し、その道から外れないようにすること。

  6.   Netscape Navigator では表示できませんが、「王」偏に「宣 (xuan)」と書いてあります。

  7.   この部分では居眠りしてしまいました。ピンインまで控えておいたのに残念です。
    原文は以下の通り:

    惟循迹而行、久而大疑且駭、然不敢遽非、必反而思之、思之稍通、復験之身心。
    Wei shun ji er ying, jiu er da yi qie hai, ran bu gan ju fei, bi fan er sizhi, sizhi shao tong, fuyon zhi shenyin.
  8. 未発之中: 『中庸』の「喜怒哀楽之未発、謂之中。発而中節、謂之和。」より。未発之中が心の本体であり、発すると已発之和となる。

  9. 解悟: 心中での悟り。

  10. 解悟: 多分“證果”を指す。仏法の修行を積み、仏の悟った境地を得る悟り。

  11. 敬: 自分の心の中にある本性に対する意識の集中。

  12.   修道女の、ラテン語で raptus という恍惚状態を指していると思われる。
    池上俊一、『魔女と聖女』、講談社現代新書、1992年;70-98頁。はこの点に関して非常に参考になります。