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a Knight Bannaret Dying

a Knight Bannaret Dying (1097kb)

わたしの敬愛する絵師の一人、エイジさんが「瀕死のバナレット騎士」を描いてくださいました。

バナレット騎士とは、爵位で言えば男爵に相当する高位騎士で、騎士は歩兵や弓兵の役割をする従者を連れて「ランス lance」という集団を形成するわけですが、このランスを数個率いるのがバナレット騎士で、その集団を「バナー banner」と言います。
そういうわけで、この騎士は高価な全身鎧を纏っているのです。手に持っているのは隊旗かもしれません。で、その鎧なのですが、グローランサということで青銅製になっています。わたしたちに馴染み深い青銅といえば、大砲や鐘など、青灰色のものを思い浮かべますが、これより銅を少なく、錫を多く配合することで、赤味がかった黄金色の青銅をつくることができます。こういう華やかな青銅製品が、日本の古墳からも発掘されていますが、青銅器社会では装身用に用いられているものと考えられます。
その鎧すらも支えられなくなりつつある彼に優しく手を差し伸べるのは、わたしたちの言葉で言えば「天使」、ということになります。地球のヨーロッパでは、キリスト教が異教を征服していく過程で、人々をキリスト教に振り向かせる異教の習俗を取り入れる、あるいは人々が自分たちの信仰をキリスト教に刷り込ませる、という展開を見せました。マルキオン教に征服されたロスカルムでも、同様な展開があったことと想像されます。それは、キリスト教の「天使」ではないのだけれど、人間以上の存在で、神の仕事=世界の運行を部分的に手助けするものでありましょう。要は訳語の問題なので、混同しなければこれを「天使」と呼んで一行に構わないとわたしは思います。(ただし、ルアーサなども神の仕事の代行者=天使、ということになる。)
その、「天使」が手に持つのは百合の花。百合はその香気の強さから薔薇と並んで古くから愛好された花で、地球ではその色から、人間の持つ尊敬されるべき徳目の一つ、純潔の象徴となっています。マルキオン教社会では別の意味合いがあるかもしれませんが、何らかの良い意味が与えられていることは間違いないでしょう。

わたしとしては、上述した不分明な点をこのすばらしい絵から逆算して定めていきたいところです。