嵐の神バール Baal の妹にして、ティルスの王メルカルト Melqarth の母。
元は愛と戦争の女神であったが、戦争の面は弱まり、豊穣と愛と性的活力の女神となった。また、カナアンの女神らしくアシェラル・ヤム Asherar-yam 、すなわち「海の女主人」とも呼ばれる。シドン、ティルスにおけるバーラト Baalat (女主人)。
バールが自らの宮殿を築いてからは、彼女は喜んでバールの酌取りを務めた。
アシュタルテはシドンでは王族の司祭及び女祭が仕える女神であった。
メソポタミアの人々はこの女神を愛と戦争の女神イシュタルと、エジプト人は豊穣の女神イシスおよび戦争の女神ハトホルと、ギリシア人は愛の女神アフロディーテと、ローマ人は最高の女神ユーノーと同一視した。
アシュタルテはヘレニズム時代にアシュタルと融合して、アタルガティス Atargatis (後にアスタロート Astaroth )という女神となるが、これはまた別の神性として扱うべきであろう。
アシュタルテは概ね角を持つ裸身の女神として描かれる。
バビロンのイシュタル神殿で行われていた「聖なる売春」がアシュタルテ神殿で行われていたかどうかは分からないが、ヘブライ人はアシュタルテを淫らな神とみなしていた。判断はゲームマスターに委ねる。
バビロン人の風習の中でも最も破廉恥なものは次の風習である。この国の女は誰でも一生に一度はアプロディテの社内に座って、見知らぬ男と交わらねばならぬことになっている。金持で気位が高く、ほかの女たちと一緒になることを潔しとしない女も少なくないが、こういう連中は大勢の次女を従え天蓋のある馬車で社に乗り付けてそこに立っている。しかし大抵の女は次のようにするのである。女たちはアプロディテの神域の中で、頭の周りに紐を冠のように巻いて(1)座っている。新たにやってくるものもあり、立ち去るものもあり、その数は大変なものである。女たちの間を縫ってあらゆる方向に通ずる通路が網で仕切ってあり、よそから来た男たちは、この通路をたどりながら女を物色するのである。
女は一旦ここに座った以上は、誰か見知らぬ男が金を女の膝に投げてきて、社の外でその男と交わらぬ限り、家に帰らない。金を投げた男は「ミュリッタ様の御名にかけて、お相手願いたい」とだけいえばよい。アッシリア人はアプロディテのことをミュリッタと呼んでいる。金の額はいくらでもよい。決して突っ返される恐れはないからである。この金は神聖なものになるので、突っ返してはならぬ掟である。女は金を投げた最初の男に従い、決して拒むことはない。男と交われば女は女神に対する奉仕を果たしたことになり家へ帰るが、それからはどれほど大金を積んでも、その女を自由にすることはできない。 容姿に恵まれた女はすぐに帰ることができるが、器量の悪い女は永い間務めを果たせずに待ち続けなければならない。三年も四年も居残る女も幾人かいるのである。キュプロスでも幾箇所か(2)に、これと似た風習がある。
[Herodotus, Historiae (I:199)]
(1) 紐は女神との繋がりを示す象徴で、務めが終われば、はずすのである。
(2) キュプロスはキュテラと並んでアプロディテ崇拝の中心地。とくにパポスとアマトゥスにこの風習があったことが知られている。
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