交易について
Notes on Trade
http://www2u.biglobe.ne.jp/~BLUEMAGI/TradeinGlorantha.pdf

 ジェナーテラの交易を論じるにあたって、私は経済学からいくつかのアイデアを流用している(だが経済学自体についてはほとんど論じていない。それは良く知られているから、ね?)。このため、私は経済学者が地球の経済では受け入れている法則がグローランサの経済でも当てはまると仮定している。

相対的な不足が価値を決定する:

 言い換えれば、商品の価値はそこにそれがどれだけあって、また欲する人々がどれだけいるか、どれだけ欲しているのかで決定される。
 諸条件が同じであれば、欲しているものが何であれ人々はそれを手に入れようとする。
 同じ物か代替物があるならば、人々はより安いほうを購入する。だが、猛烈なサーター愛国者は、憎むべきエティリーズ商人からより安く買うよりも、イサリーズ商人により高いコストを払って商品を買うものである。彼は商品だけでなく、彼が望む者と取引をするための権利も購入しているのだ。

グローランサの経済は前工業化時代の地球の経済のように動いている:

 これは私のアイデアの中でももっとも物議をかもす仮説であるかも知れないが、私は有効なアイデアだと考えている。もちろん[両者が]まったく相似しているなどといっているわけではない(が、西方に関してはそれほど間違っていないようにも思える)。例えば、私はペローリアについて、中央アメリカの農業技術、ナイル河谷の灌漑技術、そして古代ローマの農場経営と市場システムを混合したものと見ている(1) 。[このように、]この仮説は地域ごとに調整されるべきものである。

 グローランサの経済的実像を描くにあたって、経済的な要請は社会的・文化的な要請と相互作用する。
 私は、生産様式が文化的様式を決定するという考えには、文化が経済を規定するという考えと同様に、拒絶する。両者の相互作用こそがグローランサを作り出しているのである(ここでは神話も文化に含まれる)。


  1.   具体的には、中央アメリカの農業技術とはトウモロコシの栽培、ナイル河谷の灌漑技術とはオスリル川の穏やかな洪水、古代ローマの農場経営とはラティフンディウム [latifundium] 制(農奴の前身であるコロヌス [coloni] を用いた実質的な貴族である富裕層による大規模農場経営)であるということが、後述される。