生産と消費
Production & Consumption
http://www2u.biglobe.ne.jp/~BLUEMAGI/TradeinGlorantha.pdf

 あらゆる経済活動の根幹は消費である。消費される物資には食物、衣類、マジックアイテム、その他あらゆるものがある。消費に至る過程の始まりには生産がある。生産もクルミ材を集めることから《防護 IV》を呪付することまでさまざまである。交易は生産をさまざまな形の消費に至らせるためにのみ存している(《防護 IV》を「交易する」ということは、[例えば《防護 IV》を]呪付したい/「消費し」たいと思う良馬にこれを呪付する/「生産する」ことである)。

 グローランサに住まうほとんどの人々は第一次産業に従事しており、自給自足している。こういう人々には農夫、牧夫、狩人がおり、彼らはその時間のほとんどを食物、小屋、衣類をつくることに充てている。これは非常に都市化した社会でも変わらない。こうした人々は自分たちで消費するもののほとんどを自らつくり、また自分たちで生産するもののほとんどを自ら消費していて、僅かな余りが交易品として運ばれていく。少数の人々が第二次産業に関わっており、彼らは生きるために働き、技術を「交易し」ている。こういう人々には戦士から芸術家まで、あるいは商人、貴族、司祭までが含まれるが、彼らが実際に自分たちの食物を得るために狩りをしたり、作物を栽培したりすることはない。

 我々は RuneQuest によって「社会的カテゴリー」(未開/スンチェン、遊牧、封建、君主)を与えられているが、我々は[これによってそれぞれの社会の]職業を[現実より]専門化して見るし、第二次産業に従事する人々を多めに見積もっている。

 各地のスンチェン族による生産のほとんどすべては第一次産業である。祈祷師のみが部族に技術を用立てることで生計を立てている。残りの狩猟採集者は自分たちが必要なものをすべて生産しており、彼らが生産できないものはほとんど消費されない。地球の狩猟採集者を重ね合わせるなら、彼らの飲食物のほとんどは採集によってまかなわれていることになる(採集に携わるのはだいたい女性と子供である)。彼らの交易はほとんど奢侈品に限定されている。彼らは恒久的な市場システムを持ってはおらず、彼らと取引をしたいと望む外部の商人は彼らが集まっていそうなところに足を運ばなければならない。

 ペントやプラックスの遊牧社会では各地のスンチェン族よりもやや職業分化が進展しているが、やはりほとんど自給自足である。多くの遊牧部族は牧夫、狩人、戦士から成り立っている。ここで再び地球のモデルを重ね合わせるなら、これらの人々の飲食物のほとんどは動物性のものではなく、採集か半恒久的な野営地での小規模な農業によってまかなわれている。プラックスにおいてこの役割を果たすのはオアシスの民である。遊牧民は駄獣による交易に関心がないわけではない。こうした交易は彼らが富裕になる唯一の手段だからである。

 職業分化への大きな進展は農業によってもたらされた。ゼイヤラン社会は、貴族、司祭、より専門化した職人、商人といった幅広い第二次産業を提供することが出来る。ゼイヤラン文化圏での食糧生産はより牧畜に偏るか、より農業に偏るかで分かれるが、ほとんどのオーランス教徒は独立自営の小農民であり、穀物栽培、園芸農業、何種類かの牧畜を行っている。村々の市場を司る小規模な交易は諸都市間をつなぐより大きな交易網につながっている。[にもかかわらず、]ほとんどの人々は交易活動から取り残されており、手工業製品を除いて半自給自足の生活を送っている。

 西方、ペローリア、クラロレラの各文化圏ではゼイヤランよりも高いレベルの職業分化を享受している。これらそれぞれの地域では、多くの人々は小作人であり、彼らはゼイヤラン文化圏の農民とほとんど同じ生活をしている。最大の相違は彼ら小作人のほとんどが独立自営農民ではないということである。彼らは生産物の一部を地主(だいたいは貴族)に納めるよう要求されている。(家族が養えきれない)余剰労働力は、たいていはその地方の貧民となるか、年季奉公者となる。
 各文化圏ともに多数の第一次生産者を抱えているが、彼らは意識その他なんらかの理由でその土地に縛られている。セシュネラの農村に住む農奴であれ、ルナー本国の大農場で働くコロヌスであれ、彼らはほとんど何も所有しておらず、許可なしに土地を離れることも出来ない。
 これら農民の間での交易のほとんどは、彼らが束縛されていようがいまいが、非常に小規模なものである。農村にはその地方の産物を扱う定期市があり、そこでは外部からの僅かな商品にも触れることが出来る。
 これら先進地域での職業分化は商人、職人、そして小規模ながら賃金労働者市場から成る都市社会を支えることを可能にしている。都市部では盛んに交易活動が行われている。都市部では農村部よりも頻繁に資金が動き、これが都市部の人々をして幅広い商品に頻繁に触れさせることを可能にしている。
 都市に住む賃金労働者世帯のほとんどは収入の不足を補うために家庭菜園を営んでいる。都市内で菜園や養畜を営むことは近代以前にはごく一般的なことであった。近代化された19世紀の合衆国北東部でさえ、都市の家族の3分の1を支えていたのは家庭菜園であり、養畜であり、自家醸造酒の販売であったと見積もられている(これらはみな女性や子供によって行われていたが、彼女たちは賃金労働者でもあった)。グローランサの諸都市でも事情は同じであったと考えられる。
 家庭での生産がほとんどの工業(とくに繊維産業)で首座を占める。ヨーロッパ人がインドの繊維製品にもっとも多くの代金を支払っていた頃、インドの繊維製品のほとんどは家庭で製造されていた。[ヨーロッパの]事業家は衣類商に売るためにはじめ[インドから]原料を持ち帰ってきたものだが、後には完成品を買ってくるようになった(1) 。[やがて]同様の「輸出工業」はヨーロッパでも組織されるようになった。このシステムはジェナーテラのほとんどの地域でも組織されており、とりわけフロネラやテシュノスでは顕著である(2)
 若い、独身の、まだ技術を身に付ける立場にある職人は熟練工の家に住み込み、この熟練工家庭の一員となる。こういう親方-徒弟制度は、非熟練の賃金労働者が徒弟にとって代わるようになって、近代の工業制度の前進となる町工場のシステムへと変遷した。この種の製造システムはセイフェルスター、ペローリア、クラロレラで一般的である。
 いずれの製造過程においても完成品が直接販売されることはほとんどない。製造者はだいたい製品を商人に売り、彼らが消費者に小売する。
 大規模な販売は工業化、近代的な輸送手段、大量生産、都市社会、そして西洋における1700年時より[1世紀間で]12倍になる個人収入の増加があってこそ可能であり、これらの諸条件を欠いては近代的な小売店を支えることは出来ない。これはグローランサに住む人々、とりわけ都市部の人々が品物を買わない、ということを言っているのではない。ほとんどの品物は出来高払いで代金が支払われる、ということである。服屋を例にすると、消費者は歩いて行って服を注文し、服屋は寸法をとって在庫の原料から製品を作って、そしてそれを消費者に売るのである。ありふれた製品は在庫にとっておいてあるだろうが、多くはない。ほとんどの品物はオーダーメイドであろう。


  1.   これは、インドで完成品を買ってきた方が安かったからだけでなく、製品として優れていたためである。この圧倒的な安さと完成度の差は、インドが綿の原産地であるがゆえに培われた綿製品生産の伝統の長さから来ている。手工業における技術の差は非常に埋めがたく、イギリスは19世紀になっても自国の繊維製品をインドに売ることができず、ダッカの織物職人11000人の腕を切ることで、インドの繊維工業を壊滅させざるを得なかった。
     グローランサにおいても、原産地はその製品製造に関して圧倒的な技術力を持っている、という法則は適用しうるであろう(例えば、セシュネラにおける高度な鉄の冶金技術などが想定できる)。

  2.   後述されるテシュノスの綿織物「テシュノス織 [Teshnan] 」と、フロネラのリンネル「フロネラのポイント・リンネル [Fronelan Point Linen] 」の製造を指している。