ペローリア
Peloria
http://www2u.biglobe.ne.jp/~BLUEMAGI/TradeinGlorantha.pdf
輸入品:
繊維製品、インディゴなどの染料、あらゆる奢侈品、セシュネラからの馬、グレイズランドからの馬、フロネラからのベアハウンド、ラリオスからの手工業製品、真の石
 
輸出品:
「エルザスト織」、穀物(とくにフロネラへ)、セイウチの牙、ひまわり、牡丹の香水、ペローリア・ウィスキー(1)、ワイン、ブランデー、コリアンダー(薬草の一種)、イムサーおよびジョード山脈のモスタリ製の製品と鉄、金、フロネラの製品の中継貿易

 ペローリアはクラロレラについで富み栄えていて、人々は全般に高い水準の生活を享受している。ペローリアではオスリル、ポラリストール両河に拠った国内貿易が殷賑している。金の多くがペローリアからクラロレラに流出しており、このためペローリアは甚だしい正貨不足に陥り、金[の価値の高騰]に伴う[物価の]デフレに悩んでいる。ルナー帝国は銀貨を用いており、これによって経済を安定させている(2)

 エティーリーズのカルトは帝国において優位を享受しており、多くの租税優遇措置を受けている。ロカーノウスのカルトは第一義に運搬者であり、エティーリーズの商品を輸送しているが、ダラ・ハッパでは[この経済の役割における主従関係は]必ずしもそうではない。イサリーズの商人は南方の諸属州や蛮族の地で見つけることが出来るが、彼らは自分たちが支払わされる特別関税について声高に不平を主張している。

 ペローリアの主要作物はトウモロコシである。トウモロコシは厳しい冬がないことから年に2回実を結ぶ。ペローリアの穏やかな気候がこの地域の食糧生産を豊かにしており、これによって帝国の安泰が保たれているといえる。南方の諸属州では小麦が、カルマニアでは大麦が、蛮族の地では燕麦が栽培されている。これらは船積みされて、河川でルナー本国 [Lunar Heartland] に運ばれる。

 ペローリアの集団農業の形態には大きく分けて2種類がある。カルマニアや南方の諸属州、蛮族の地では、農民は小地主に仕える小作人であり、農奴であれ自由な氏族の人間であれ、土地に縛られている。ルナー本国では、農業は貴族に所有される大規模な農場が一般的である。こうした農場ではローマのコロヌスに似た農業労働者階級が働かされている(3)

 ペローリアの市場形態も同様にいくつかのタイプに分かれる。たいていは村にある小規模な地方の市場が数珠繋ぎになって都市の市場に結びついている、というパターンは本国を除くペローリアで一般的である。本国は非常に都市化されていながら、この地域の圧倒的な肥沃さと大規模集団農業のおかげでオスリル河谷の諸都市の農業は高い生産性を有している。この地域の交易は都市中心のものであるが、コロヌスたちは「神の日」の定期市で園芸農業で栽培した作物や簡単な手工芸品を商っている(ブラジルやカリブ海諸国における奴隷たちによる日曜市と似たものである)。

 この地域の豊かさの一因は水運の簡便さに拠っている。ペローリアを流れる河川のほとんどは航行可能である。オスリル川の諸精霊と周辺の人間たちとの特別な関係によって水の精霊は容易に呪縛され、この地方では他の地方より容易に川を遡ることが出来る。

 カルマニアの富の源泉をなすのは真鍮鉱である。真鍮の鉱石を輸送していたのと同じ水路を使って、今ではオローニン湖畔で栽培される綿もエルズ・アストの熟練した機織りたちに輸送されている。エセル [Esel] 川はカルマニアの南方への水路となっており、ブローリアで集積された灰汁が運ばれてくる(4)。フロネラとの交易の再開に伴って、淡水海に面するハランダシュ [Harandash] やストーラル [Storal] は造船が盛んになっており、主要な交易地となっている。

 ルナー本国は、文明の揺籃地にして史上もっとも富み栄えたダラ・ハッパを取り巻いている。オスリル川の穏やかな洪水はよい灌漑であり、最上の土壌をもたらして、この地は毎年大豊作である(5)。ヨルプ山脈の鉱山から掘り出された金はジョート [Joat] 川を下ってライバンスに運ばれる。「エルザスト織」やフロネラからの輸入品、その他ダラ・ハッパの商品はオスリル川を平底船で南方の諸属州へ、さらにケタエラへと運ばれ、そこから世界中へ輸出される。南方からの輸入品はオスリル川を下り、支流やポラリストール川を伝って[本国全域に]運ばれる。イムサーおよびジョード山脈ではモスタリの製品が製造され、[本国で]消費されたり、中継貿易されたりする。原聖地ではトーランやユスッパで製造される精油や香水を輸出している。一週間にわたって灯りつづける「ユスッパのたいまつ」も名産である。ダージーンやシリーラはワインやブランデーの名産地として名高い(6)

 雷鳴湿原はグローランサにおける二大象牙供給の一翼を担っている。セイウチの牙はこの地でトロウルと交易して[得られて]いる。湾曲したセイウチの牙はトライポリスで一般に服飾品として用いられる。

 大閉鎖の間、ルナー帝国はペントを抜けてクラロレラに至る内陸行路を開拓してきた。今でも紅毛族 [Red-Haired tribe] の強健なキャラバン隊が絹、香料、その他の奢侈品を運んでいる。しかし、大開放後はドラゴン・パスからケタエラを経由しての海路が復旧し、内陸行路にとって代わりつつある。キャラバン隊はルナーの補助金によってのみ生計が支えられている有様である(7)


  1.   ルナー・スピリットか?

  2.   「正貨の東方流出」に関しては前述の 3-3: Metals 註(2) を参照。
    正貨が不足したとき、ふつう正貨の価値が上がるため相対的に物価が下がり、デフレになると考えられる。だが、実際には決済手段がないために物資の供給元から市場への流れが滞り、市場では物資も欠乏して物価が高騰することになるのだが、こうなるとますますその市場には通貨が流れなくなり、経済活動が停滞することになる。

  3.   ローマにおけるラティフンディウム制が、商業的であったのか自営的であったのかは今でも論争点となっているが、ここではカルマニアの農奴制とは違う、と述べられているので前者の立場を取るのであろう。つまり、大規模な農場で、安い労働力(コロヌス)を用いて、大量の穀物を一括に卸すことで、独立自営農民が生産するよりもずっと安く穀物を生産し、本来なら重くかさばっていて交易には向かない穀物で商売を成り立たせているのである。
     ラティフンディウム制下のコロヌスは、元は債務奴隷か戦争奴隷で、彼らが自らの代価を購うか、身元引受人が現れれば、彼らは自由になれる。とくに有能と認められる奴隷を解放して、自らの従者にするのはローマでは一般的であった。

     カルマニアの封建制はずっと難しい。
     ヨーロッパにおける封建制は、ローマのラティフンディウム制が、はじめは商業的であったとしても、次第に自営的になってこれを治める商人貴族が領主化していったことに端を発する。やがてゲルマンの王が現れたとき、これらの小領主を傘下に収めていって封建王制が成立した。日本の幕府も、小領主の既得権益を尊重した緩やかな連合体であって、ヨーロッパの封建王制に似ている。
     これに対して、ビザンツ帝国のテマ制、セルジューク朝のイクター制、オスマン朝のティマール制は中央政府が自発的に封建制を敷いたもので、性格が異なる。中世盛期、騎馬戦術の発達、冶金術の発達による武器・防具の金属化、弩弓の普及などにより、兵士の装備が高価になり、これを養うのが困難になったこれらの帝国では、兵士に封土を貸して装備を自弁させるようにしたわけである(これを軍事的封建制という)。この封土は貸されたものであって、王はこれをいつでも取り上げることができたし、貸与も一代限りで兵士が領主化することもなく、中央の統制は維持された(ビザンツ帝国では中央政府がさらに弱体化して統制しきれなくなったが)。
     逆に、ヨーロッパにおいてもノルマン朝以降のイングランドやレコンキスタされた後のイベリア半島の諸王朝のような征服王朝では、封建制は敷かれず、各地に代官を置いて中央政府が全領土を統治した。
     カルマニアの歴史を振り返ってみると、カルマニアは80年に及ぶ血王戦争によってルナー帝国によって征服されたのであり、ヨーロッパのような封建制が施行されているとは思われず、ルナー帝国は西方防衛のためにカルマニアに軍事封建制を敷いたものと思われる。
     このような軍事封建制の下における農民は、封建制によって法的に領主に帰属する農奴と異なり、君主(この場合、赤の皇帝)に属しており、移動が自由で、戦争や飢饉があった場合、彼らはすぐに土地を捨てて都市に流れ込む傾向がある。また、領主の圧制を君主に訴えることができる。したがって、封土を貸し与えられた領主はこの利益を失わないよう、仁政によって領民を逃さないようにしなければならない。

  4.   灰汁は洗濯や染色に用いられる。染色の際は、灰汁に浸して茶色に染色するものと、灰汁を下染めに用いて赤色に染色するものが代表的(赤色は茜や紅花でつける)。

  5.   ナイル川の洪水は奇跡のようなもので、さまざまな要因があってはじめて成立するものであるが、逆に考えるとダラ・ハッパのような平原に人類最初の文明の一つが成立したというのは、このような恩恵があってはじめて説明しうるのかもしれない。
     仮に、オスリル川に定期的で穏やかな洪水が起こるとするならば、まずオスリル川の水源では定期的に世界最大級の雨量が見られるはずである。この水源が徐々に溶け出す雪解け水であることは考えられないので、オスリル川は岩叢嶺山脈 [Rockwood Mts.] の縁を回って南側斜面に流れる夏の雨水を集めているのだろう。この斜面に流れる雨水はオスリル川に集められるので、この斜面の麓にあるエスロリアでは、ライコス川流域を除いて水不足に悩むことになるだろう。
     そして、オスリル川の上流には洪水の位置エネルギーを減殺させる瀑布がいくつかあるはずである。とりわけ、ナイル川ではエレファンティネの南にある第一瀑布はエジプトとスーダンの文明を分ける一因となってる高低差があるが、ジラーロをエレファンティネと見なせば、そのみなみに大瀑布があるのかもしれない。「娘の道」の存在を考慮するなら、フィリチェットに至るまでこのような瀑布がいくつかあって、船の航行を妨げているのだろう。
     また、第一瀑布以南の流域ではしばしば水害に悩まされるはずであり、第一瀑布以北の流域では風土病がはびこっているだろう(流域住民は抗体を持っているので問題ないが、外国人はしばしばこの病で死に至る)。

  6.   先にも述べたが、葡萄はこれらの地域でも、西部のヨルプ山脈に連なる丘陵地帯で、出荷が容易な河川に面した地域(Oarz や Voranel)で栽培されていると思われる。

  7.   先にも述べたとおり、リスクの面では必ずしも海上交易が有利なわけではない。