HISTORIA LOSKALMÆ
The Special Lecture by Castllumleæ the Secular

 ここで述べるのは、わしがかつて1604年、我が不肖の弟子デスウィングに語ったことじゃ。ノースポイント大学史学科開設記念公演ということで、何を語ろうかと迷ったものじゃが、デスウィングがわしの話を書き留めていたのを、奴めには過ぎた妹のラムールがわしに教えてくれて、わしも面倒じゃからそれで済ましてしまおう、いやよくまとまっておるのでこれが最適だと信じてな、これを語るわけじゃ。

 貴卿らの質問はあとで受けるゆえ、要旨及び疑問点は各自メモしながら聞いてくれたまえ。

 それでは始めるとするか…


師匠、お話して。」
これこれ、退役して畑で日向ぼっこばかりしておるそこらのじいさんどものように扱うものではないぞ。わしはこれでもこの国で最高位の魔法使いなのじゃからな。」
ならなおのこと、この国の未来を担う少年の育成には気を配らなくちゃ。」
やれやれ。で、何の話が聞きたいんじゃ?」
この国の成り立ち。」
は? ロスコルム王国の歴史じゃと? 学校で習っておるだろう?」
だって、先生はたまに変なこと言うんだもの。」
変なことじゃと?」
例えば、お父さんは戦場に駆り出されてずっと帰ってこないのに、『ロスコルム王国軍は、その創設以来、神の恩寵をもっていまだ敗北を知らない』だとか、ビュリュックラン通りにはあんなに貧しい人たちがたくさん住んでいるのに、『ロスコルム王国では、聖フレストルの教えを忠実に守り、富は等しく分配されている』だとか言うんだ。変でしょ?」
そうじゃな。ふむ…、よろしい、話してやろう。じゃがわしはちと長く生きすぎたゆえ、先生たちとはずいぶん違う見解になるかもしれんがな。」

このとき、この師匠、カッスルレーは弟子から預かっている10才の子供に並々ならぬ知性を見出して一人ほくそ笑んだ。


さて、この国の話をするなら、やはりまず聖フレストルの時代から話し始めねばなるまい。

聖フレストルが生まれた頃の世の中はひどいものじゃった。天に日はなく、地には混沌の化物が満ちており、戦争と疫病で人々は次々に死んでいった。そんな時代じゃったから、人々は進んだ文明を一手に握った強力なブリソス人の庇護を請い願って、この辛い時代を生き抜いてきた。

じゃが、「明けない夜はない」という聖マルキオンの御言葉通り、かの大魔法使いザブールの救世の儀式によって、ついに世界は救われた。我々はこの救世によって再び太陽が昇った日の翌年をもって、太陽暦元年とした。

この危機の渦中、かの古の都フロウォルが執政フロアラルと聖母ゼメラの一子、フレストル ―彼の上に平安あれ― の御前に聖マルキオンが現れ、新たなる真理をお示しなされた。すなわち、聖マルキオンの説く「自己の役割」は自らによって見出されるべきものであると。

これはつまりこれまでの階級社会を否定するものじゃな。じゃから、これまでブリソスに隷属してきたセシュネラとフロネラの植民地は一斉にフレストル皇子になびいたのじゃ。そして人々はフレストル皇子の御言葉を奉じて、百姓に至るまで剣を取って敵と戦った。そんなわけで彼らは自らの土地を守った。そして彼らは保護下にあるはずの彼らの危機を救えなかったブリソスからの独立を願い、やがて彼らはフロアラル仰いで、大陸に新たな王朝を打ち立てたのじゃ。

この王朝はサーペント朝と呼ばれておる。フロアラル王はじめ、この王朝の君主はしばしば女神セシュナと交わり子をもうけたが、その子らはイルリーム王をはじめ、脚ではなく、蛇の尾を持って生まれたためじゃ。このサーペント朝セシュネラ帝国の下でフロネラを統治したのがロスコルム王国というわけじゃ。

太陽暦156年、サーペント朝は権力闘争によって絶えるが、それ以前からの分派間の争いは中央集権を弱めており、ロスコルム王国もその頃には単なる属領統治機関から真の「王国」へとなっていた。

ロスコルム王国には建国当初からの課題があった。異教徒、すなわち山岳部に住まうウォーラス信者とドーナに住まうイーヒルム信者じゃな、彼らに対して見えざる神への正しき信仰がいかにヘゲモニーを確立するかという課題じゃ。イーヒルム信者は創世主の存在を認めておるし、ウォーラス信者も開明的な英雄たる聖フレストル ―彼の上に平安あれ― の御言葉を聞くのにやぶさかではなかったのだが、マルキオン教会当局は異教徒に歩み寄る気など毛頭なかった。

彼らの狭量に、教条主義集団「真のフレストルの道」がつけ込んだ。「真のフレストルの道」は瞬く間に教会で主流を占めるようになり、太陽暦200年、ついに彼らは教会における支配権を確立した。そして彼らは徹底的な異教弾圧を開始した。まあ、このようなわけでロスコルム本国から異教は根絶され、ジョナーテラ王国などとは違う純粋なマルキオン主義の国家になったわけじゃ。結果のみを評価すれば、この宗教的統一性はロスコルム国民の紐帯を強固なものとした。それによって失われたものもまた大きかったのじゃがな。

さて太陽暦375年、ペローリアで1柱の神が創造された。その名をオセンタルカ、ナイサロール、あるいはグバージという。今のルナーと同じで、その時のペローリア人たちもまた身近に神を欲していたのだろう。そしてこれまた今のルナーと同じで、彼らの国は強力になり、隣接するマニリア、ラリオス、そしてフロネラにその勢力を拡大していった。 かの“征服されざる騎士”ヴァーガンザルと彼の率いるウォーラス信者を説得して危機を回避した新興国アケムの王“哄笑の戦士”聖テイロール ―彼の上に平安あれ― もまた、フロネラを守って勇敢に戦った。

じゃが、グバージを倒したのはアーカットじゃ。

グバージのともがらは自らセシュネラに疫病を広める一方で、セシュネラにこの疫病を治癒する神ニエビの信仰を広め、セシュネラ王権に近づいた。彼らの不実に気付いたセシュネラ皇帝ヒールウェルフは彼らと対決したが混沌に食われてしまった。王の遺志を継いだアーカットにマルキオン教会は対混沌十字軍大将軍の地位を与え、すでに吸血鬼の支配するところとなっていたタニソール王国を滅ぼさせた。太陽暦417年のことじゃ。

タニソール征服後、アーカットは真実を掴むべくさまざまなカルトを遍歴し、ついに意図的なヒーロークエストを達成した。もちろん教会は彼の行為を許さなかったが、セシュネラ皇帝も西方世界の戦士たちも彼を支えつづけた。背教者アーカットの功績を無視しなければならんのはともかく、当時の人々が宗教を超えて一丸となり、混沌に立ち向かったことを無視してはいかんじゃろうな。

かくしてアーカットは力を得て戻り、ついに太陽暦450年、ペローリア人の神を倒した。

そして彼はラリオスにすべての宗教、文化が融和する理想郷、暗黒帝国を打ち立てたのじゃ。


さて、ここからいわゆる"帝国の時代"に移るわけじゃが…。ふぅ…。」
どうしたの? 師匠。もう疲れちゃった?」
なんの、そうではないわい。ただ"神知者"のことを語るかと思うと、ちょっとこみ上げてくるものがあってな…。」
"神知者"? ああ、あのバカなくせに世界をいじくりまわしてめちゃくちゃにして、自滅していった奴らだね?」
…誰から聞いたか知らんが、ラヴィよ、他人が勝手に善悪を色分けたものを無批判に受け入れて、それを元に非難するような真似はしてくれるなよ。」
…はぁい。すいませんでした。」
いやまあ、謝ることでもない。まあわしのような偏屈じじいの下で学ぶ以上、とくにこういう態度は不可欠じゃろうて。
では話を進めるとするか」

太陽暦500年、ジルステラで「神を知る者たち」というサークルが結成された。彼らは統一と寛容という理念を全世界に広める、という理想を掲げていた。

神知者はその勢力をパマールテラ大陸のウーマセラに拡大していったのじゃが、その海上帝国の創設はそれまでの海の覇者、ウェアタグ人の利益を損ない、ついに太陽暦718年、両者は衝突したが、この戦いでウェアタグ人の艦隊は壊滅し、神知者の海上支配が始まった。

太陽暦725年、伝道者カステレアフの下にロスコルム王国がまず征服された。そして768年には、クラロレラ帝国までもが征服されたのじゃ。

さて、セシュネラは長いこと強大な暗黒帝国に圧迫されておったわけじゃが、7世紀後半には混乱の極致に達した。太陽暦676年、タニソール公がフロウォル市を焼き払い帝位を簒奪するかと思えば、太陽暦680年にはテルモリ族が王位を継承するという始末じゃ。じゃが、この混乱の中で神知者の哲学に影響を受けた改革派「正義に帰れ」革新運動が起こった。「正義に帰れ」軍はジルステラの支援の下、異教徒の皇帝を駆逐し、セシュネラはセシュネラ人の手に戻った。もちろん、「正義に帰れ」運動を通じてジルステラとセシュネラの関係は密接なものとなった。太陽暦740年、セシュネラ帝国は宿敵の暗黒帝国を征服し、アーカット派を根絶するが、この背後には暗黒帝国に秘められていたヒーロークエストの秘密の数々を狙う神知者の影があった。

そして、太陽暦789年、セシュネラ皇帝スヴァガドは、セシュネラ王国(これは言い間違いではないぞ。セシュネラ「帝国」とは栄光のイルリーム王朝の頃の版図である西方世界全域のことであり、「王国」とはこの帝国の一行政単位じゃ。これ以前よりセシュネラは帝国も王国もほぼ同義語じゃったが、皇帝は見栄を切って「王国」部分だけを差し出したわけじゃな。ま、気にせんでよろしい。)、ジルステラ同盟、ウーマセラ連合からなる海と陸の帝国の成立を宣言。自らはその皇帝となった。ここに、セシュネラと神知者は名実ともに一体となり、彼らは最強の陸軍と海軍、魔術、広大な領土を手にするに至ったわけじゃ。

優れた政治手腕を有するスヴァガド帝はジルステラの支配下にあった領土の再編成に着手し、ここフロネラにおいても支配の強化を図り新たな拠点を設置した。それがいまのノースポイント、サウスポイント、そしてイーストポイントじゃ。

神知者たちは強大な力を得て繁栄を謳歌したわけじゃが、不幸なことに、彼らが使う力の総和はこのグローランサのキャパシティーを遥かに凌駕し、ついに破綻が生じることとなった。それはまず、太陽暦818年からのスロントスの「暴風雨の7年間」、917年のセシュネラの「風なき台風」、925年のラリオスの「氷の夏」といった異常気象の形を取って具現した。

もちろん神知者もこのような事態を座視していたわけではない。彼らはより強大な力を得ることで、解決を図ろうとした。

まず、太陽暦821年、第5回マルキオン教宗教会議を召集し、マルキオン教世界の統一を訴えた。あらゆる地域の代表がこれに同意したのじゃが、ただ1つ、ブリソス人のみは見えざる神への崇拝を拒絶し、統一を否定した。

まず、太陽暦821年、第5回マルキオン教宗教会議を召集し、マルキオン教世界の統一を訴えた。あらゆる地域の代表がこれに同意したのじゃが、ただ1つ、ブリソス人のみは見えざる神への崇拝を拒絶し、統一を否定した。


見えざる神を、あの預言者マルキオン ―彼の上に平安あれ― を生んだブリソス人が否定したんですか?」
そうではない。見えざる神への崇拝を否定したんじゃ。」
?」
聖書の『創世記』は習ったかね?」
はい。」
では暗誦してみたまえ。」
自然は認知可能で、可測関数であるから、創造は最初の等差級数とともに始まったのである。知ることのできぬもの『0』の次に『1』すなわち創造主がやってきた。そして彼は、『2』すなわち宇宙の二重性をつくった。『2』は、『3』すなわち既知の世界をつくった。『3』は…、」
うんうん、よく覚えたな。でだ、この文をそのまま読んで、我々が今ここに存在するのはどうしてだか分かるかね?」
創造主たる見えざる神がぼくたちをお造りになったからでしょ?」
違う。単なる偶然じゃよ。我々は多様な元素と力の連鎖から生じ、時至れば消滅する、そういう存在じゃ。我々には存在理由などない。
まあ、ブリソス人たちは聖書を字面通り読んでこのように思い、存在理由を自らに見出したわけじゃ。じゃから、彼らは自らの規範に則り自由に《切開》も行うし、完全なる消滅を恐れて《不死》も行う。彼らにとって、『1』なる創造主とは世界の元素と力のある段階における姿に過ぎないというわけじゃ。
これに対して、預言者マルキオン ―彼の上に平安あれ― は『1』なる創造主を全宇宙を律する超越的意志と見なしたのじゃ。つまり、この世界も我々も偶然に生じたのではなく、かくあるべく意図された計画に沿って生じた、というわけじゃ。じゃから、我々は神の計画を成就するために自らに課せられた役割を果たさなければならない。そして、神の計画を手伝う我々には死後、消滅ではなく『慰めの野』が用意されたのじゃ。」
不幸もですか? 不幸も神の計画に沿ったものなのですか?」
その通り。もっとも、不幸というものははなはだ主観的な概念じゃ。例えば、熊と鹿がいて、食われる鹿は不幸じゃが、食う熊は幸福じゃろうて。まあ、熊や鹿の話なら納得もできようが、これが我々自身や家族なら受け入れられるはずもないな。我々には神の計画など計り知れようもないが、現実の問題として不幸は起こる。とすれば、少なくとも、我々の不幸によって何者かが幸福になると考えることに救いは見出せないだろうか。
じゃが、この考え方を個人的な迷妄を払う手段として用いるのはよいが、支配者が自らの地位を確立する手段として用いるのは許せんな。二重に神を冒涜しておる。一つに神の名を騙り、いま一つに神から課せられた自らの人民を導くという役割をないがしろにしておる。曙の頃、ブリソスの指導者層は大陸の植民者にこれを行った。預言者フレストル ―彼の上に平安あれ― はこれに抗し、自らの役割は自ら見出すべきことを主張したのじゃ。かくして、人々は誰のためでもなく、自分たちを創り出した神のために生きるようになり、日々の生活に意味と充足を得るに至ったのじゃ。我らマルキオン教徒の進取の気鋭はここに由来し、この進取の気鋭が世界の歴史を動かしてきたのじゃ。」
じゃあブリソス人はそうした人間として在るべき姿を理解できない愚かな奴らだったというわけだね?」
そうとは言えまい。彼らは我らのように小難しい理屈を並び立てずとも、自ら神との接し方を構築していたのじゃから。むしろ愚かと言うなら、自由を唱えつつ、それに従わぬブリソス人にそれを強制させようとした神知者たちの方じゃろうて。それをこれから話そう…」

海と陸の皇帝ミグロスは世界を征服すべく、世界中から兵と船を集め空前絶後の大艦隊を用意した。そしてその矛先は、マルキオン教世界の統一という大義を阻むブリソス人を懲罰へ向けられたのじゃ。じゃが、ミグロス帝が艦隊を準備している間、ブリソスの魔術師達もまた魔術を準備し、かくして太陽暦823年、ミグロスの艦隊がブリソスに達するや、嵐が艦隊を襲い、遠征軍は一人残らず生きては帰れなかったのじゃ。

いま一つ、益なく労多き遠征が、太陽暦842年に行われた。ミグロスの甥ブレラッハ帝は当時中央ジェナーテラに覇を誇ったワームの友邦帝国に挑んだ。彼はケタエラの影の平原に橋頭堡を築くべく、海軍を鏡の海に派遣する一方で、主力陸軍をスロントスからエスロリアへ進軍させた。じゃが、この帝国の誇る陸軍はドラゴンたちに完膚なきまでに叩きのめされ撤退のやむなきに至ったのじゃ。

結局のところ、統一と寛容を説いて築かれたこの大帝国は、統一のみに走るようになったとき、その発展を止めたのじゃな。

じゃが、当時の人々はこうはとらえず、自分たちの力量不足を痛感したのじゃった。そして神知者は、太陽暦845年、共同事業体を設立し、団体で魔術の探求を行うようになった。これにより彼らの力は劇的に増大したわけじゃが、今にして思えばこれが破滅もまた劇的に近づけたのじゃろう。

このような驕慢が長く続いたためしはなく、破滅を予言する者は少なくなかった。最初に破滅を予言したのは、太陽暦813年の“七本筆の”ヴァラストスの警告じゃ。

じゃが、破滅を避けるための最初の行動を起こしたのはブリソス人じゃった。ブリソス人はこの世界の破滅を察知し、かのザブールの魔術によって、太陽暦920年、ブリソス島ごとグローランサから去ってしまったのじゃ。じゃが、その大魔術によって思わぬ副作用が起こった。海の「大閉鎖」じゃ。ブリソス島を取り囲む目に見えない障壁は、毎年300キロメートルの早さで島の外に広がっていった。壁は40年間でヴォルメインに至る全世界を包み込み、海上から一切の船舶を消滅させた。以来、沿岸2キロメートル以遠の外洋航海の手段は全く絶たれてしまったのじゃ。

神知者たちの間に動揺が広がったのも当然じゃろう。帝国の統一は制海権の支配に負うていたのじゃから。かくして神知者の間に帝国を見捨てる者が現れた。太陽暦946年、総代魔術師の地位に70年間在ったアルガリス師が失踪し、彼のライバルであったハルウォル師も放浪の旅に出た。神知者は分裂により支配力を弱め、958年には神知者の推す者を斥け、ピスダロスの魔術師の支援を受けた者が帝位に就くに至った。ハルウォル師などは帝国を打倒すべく、ラリオスの諸都市を糾合したりしたのじゃ。

中央の混乱は地方の離反を招く。反乱の火はここフロネラで最初に起こった。10世紀後半、ハルウォルなる者が反乱を指導したのじゃ。皇帝はラリオスやアロラニートから軍隊を召集し鎮圧に向かわせたが、今度は軍隊の去ったラリオス、アロラニートに反乱が起こることとなった。対応に苦慮する帝国軍を尻目に、フロネラ人たちはついにセシュネラ人を追放し、ロスコルム王国を復興させた。ロスコルム王国は神知者の数々の罪を認めることと、宗教的な改革を断行することを国民に約束した。

結局、帝国は反乱した地域のいずれも取り戻すことができず、ここに海と陸の帝国は成立から201年で幕を下ろし、セシュネラ王国のみが残った。セシュネラ王国にはこの後も災厄が用意されていたのじゃが、今回はロスコルムの歴史を語っているのじゃから、それを語るのはまた別の機会に譲ることにしようて。

結局、帝国は反乱した地域のいずれも取り戻すことができず、ここに海と陸の帝国は成立から201年で幕を下ろし、セシュネラ王国のみが残った。セシュネラ王国にはこの後も災厄が用意されていたのじゃが、今回はロスコルムの歴史を語っているのじゃから、それを語るのはまた別の機会に譲ることにしようて。


さて、フロネラに取り残された神知者はイーストポイントに拠っていたのじゃが、これもついに太陽暦1392年、ルナー帝国に征服された。当時、ルナー帝国は「ペントの軛」と呼ばれる時代に当たっておった。つまり、帝国のほとんど全域がペント遊牧民に征服され、赤の皇帝すら姿を消したという帝国の苦難の時期じゃ。にもかかわらず、その弱体したルナー帝国に滅ぼされたというのだから神知者の凋落振りには目を覆うばかりじゃ。

一方、ルナー帝国はこれまで満ち欠けによって不安定にしか得られなかった赤い月の力を恒常的に得られる技術を開発した。これによって帝国は太陽暦1460年、敵方の指導者を倒し、国内から遊牧民を一掃した。彼らは国内がかたづくと自然、目を外に向けた。東方では遊牧民の残党の掃討を行い、南方では山岳部のターシュ王国を帝国に組み入れようとしていた。そして、西方には神知者の統制が解かれて後、いまだ統一されないジャニューブ川流域の都市国家群が無防備な姿をさらしていた。当然、帝国の矛先は労少なく益多い西方へもっとも向けられるはずじゃった。

しかしそうはならなかった。帝国の南方のターシュ王国はその地方の大国でドラゴン・パス王位をも兼ねていたので、帝国としてはターシュさえ陥とせば南方を安定させることができるはずじゃった。ターシュ王のドラゴン・パス王位に挑戦しうる男が現れたのじゃ。その男をサーターという。彼は武のみを尊ぶさらに南方の野蛮人たちの部族をその徳と知恵で統一させつつあった。そこで、帝国としてはターシュに対する政策に全力をあげねばならなかった。

しかし帝国は既に太陽暦1462年リバージョインを組み入れ、イーストポイントと併せてアロリアン統治領なる帝国の保護領を設立させてしまっていた。ジャニューブ川流域の諸都市国家の背後には西フロネラ全土を治め、フロネラ全域に影響力を及ぼす強国・ロスコルム王国がいた。ルナー帝国は期せずして潜在的な二正面作戦を強いられたわけじゃ。

さて太陽暦1443年、“イタチ”と仇名される黒のフラルフ率いるウォーラス信者がロスコルム王国に侵攻した際、スノーダル公はヴァリンド氷河を抜けて、英雄界のアルティネの地まで逃がれられた。

閣下はその地の図書館で、かの大魔法使いザブールの手になる1世代後のフロネラの地図を入手されたのじゃが、それによるとフロネラの地は引き裂かれ、破壊されることになっていた。

太陽暦1483年、閣下は帰還されると、アルティネで得た技術と魔術を駆使して黒のフラルフを倒し、ウォーラス信者を駆逐した。そして来たるべき災厄に備えて哲学的理念、法律、軍隊を補強してフレストル教会を強化した。一方で閣下は広く賢者を求められたが、ある賢者の言に従われた閣下は、太陽暦1499年、司祭や魔法使いを連れて英雄界に赴かれ、そこでフロネラの通信を司る銀足の神を殺害し、その死体に忌まわしい儀式を施したのじゃ。1471年、ロスコルム王国に至る一切の通信が途絶したと記録されておるが、実際のところ、1499年にフロネラのすべての地域が互いに切り離されてしまったことを後世の我々は知っておる。世に言う「シンディクス大破門」じゃ。スノーダル公と仲間たちは結局帰られなかった。

さて、アーカットはグバージの嘘を看破された際、「それによってもっとも利益を得る者が元凶である」と言われたが、その御言葉に従えば自ずとスノーダル公を唆した犯人は限定できる。ルナー帝国は現在に至るまで西方の脅威を受けることなく南方の計略に勤しみ、つい一昨年、彼らは賢人サーターの打ち立てた王国を滅ぼしてドラゴン・パスを統一したということじゃ。

話をロスコルムに戻すが、スノーダル公の亡き後は、閣下の一子“善王”ジグラットが王位を継がれた。彼の方の御代では「大破門」によって国中が数百世帯の家族ごとに引き裂かれ、国は真の危機に瀕していたが、強力な個性で人々を導き、ついにはロスコルムにフレストル的理想主義に基づく完全なシステムを打ち立てたのじゃ。預言者フレストル ―彼の上に平安あれ― はそれに先だって、じきじきに彼の方の御前に姿を現され、その理想像を啓示されたと伝えられている。“善王”ジグラット王は1599年に逝去されたが、かつてのスノーダル公の従者であったヴァルスバーグ伯グンドレケンが王位を継がれた。今上の国王じゃな。

今上の治世中、太陽暦1582年にかの“水夫”、聖ドーマル ―彼の上に平安あれ― がロスコルムに上陸された。この時をもってネレオミ海の「大閉鎖」は終わったのじゃ。そして“水夫”の「大開放」は「大破門」の「雪解け」をも誘発させ、太陽暦1585年にはロスコルム全土が解放され、太陽暦1587年に「雪解け」はロスコルム王国の国境を越え、ジャニューブ川を溯り、東フロネラ一帯にまで広がっていった。そしてつい去年の太陽暦1603年までにジャニューブ川流域の都市国家群はすべてが解放された。

じゃが、蓋を開けてみれば「大破門」の傷痕はひどいものじゃった。ジャニューブ川流域に散らばっていた街の多くが廃墟となって発見されたのじゃ。多くの街が孤立に耐えられず、文明を退化させていった結果じゃな。じゃが、ロスコルムだけは急速に統一を回復した。それはスノーダル王子、ジグラット王が築いた完璧な統治システムと、今上の比類なき統率力、そしてロスコルム人個々人の敬虔な信仰による孤立との闘争のおかけじゃった。


さて、今上はかつてスノーダル王子の従者であったわけじゃが、スノーダル王子の息子ジグラット王に続いて、言わば「スノーダル王朝」が継承されたわけじゃ。もちろん、代々の国王が愛に溺れて自分に近しいものに王位を引き渡したと言うのではない。確かに代々の国王はいずれも衆に抜きん出た方ばかりじゃった。それは今日のロスコルムの繁栄が証明してくれる。じゃが、彼の方々がなぜ優秀足りえたかという疑問は残るであろう。だがそれは疑問でもなんでも無いのだ。

聖フレストルの御代においては、生産は今のように分業されてはおらなんだ。「農奴階級」は文字通りほとんど全員農民から形成されており、彼らは必要な生産物を自ら作り出していた。そして「騎士階級」もまた封建領主のみから成り立っていた。彼らは自らが監督する農奴たちの村に居城を構え、かつての自らが「農奴階級」であった時に培われた知恵を用いて農奴を導いていった。

じゃが、今日において分業化は著しく進み、「農奴階級」にありながら〈植物知識〉を知る必要のない職業も数多く見られるようになった。また、「騎士階級」の者はもはや村落に住むことはない。中央集権化が進んだ結果、彼らは都市に集住した。彼らの役割は「主人に仕える」ことだけが残り、「農奴を導く」ことは消えた。農民への徴税権は競売に付され、裕福な豪商たちの手のものとなり、彼らは徴税請負人を雇うようになった。導かれることのない農民たちは、まるで古のブリソス社会の農民たちのように自らの地位に満足している。このようにしてフレストル・システムは1600年を経て完全に形骸化した。

じゃが、いかに形骸化したにしても形式だけは残った。支配者たる者は依然として農業に関する深い造詣と戦術・魔術の習熟を要求される。そこで豊かな者は自らの子弟に高い教育を施すようになった。そしてその子弟は顕職を得て、豊かになる。だからその子弟もまた自らの子弟に高い教育を施す。宗教改革から700年、このようなことが何世代と続くうちに名家層と言うべきものが形成され、貧富の差が拡大したのは当然の帰結じゃ。「スノーダル王朝」もまたこのようにして形成されたというわけじゃ。


ラヴィよ、お前もまたそのような「名家」の一つマクウェイン家に生を享け、こうして僅か10才にして儂のような偉大な魔術師の話を聞けるのじゃぞ。ん? おい、ラヴィ、なんじゃ寝てしまったのか。まあ、子供には夢を見る時間も必要じゃ。お前は儂のように900年もくすぶり続けてはいかん…」

かつて神を知る者という「統一と寛容」を旨とする集団がおった。彼らはフレストル派の人々の上昇志向のみをよしとする考え方を嘲笑った。なぜなら、ブリソス人をはじめとする人々は聖マルキオンの教えを忠実に守り、その心身を安定させることで寿命という運命から解放されていたのじゃ。命の炎というものがあるとするなら、ブリソス人の生き方はろうそくの火じゃ。ろうそくの火はさして明るくはないが、いつまでも光を失わない。一方、フレストル派の人々の生き方は爆発じゃ。一瞬だけじゃが、明るく激しい炎を世界に放つ。神知者はこう考えた。どちらの生き方が正しいとは言えない、なぜなら、人それぞれ置かれた立場というのは異なるからだ、人は自らを省みて自らにふさわしい生き方をそれぞれ自由に選択すべきだ、とな。

じゃが、神知者たちのほとんどがブリソス的な生き方を選択した。死は誰にも恐ろしいし、一度長生きしてしまえば死すべき者たちとは比較にならないほど所有するに至った富や技術が惜しくもなるからな。じゃが、彼らは長生きしても、結局寿命から逃れるという努力以外は一切しなかった。自らの存在した証を後世に残す以外のこと、世界に働きかけることこそ、人と動物を分ける境であるのにな。そのように、長生きするだけの動物たちが「人」を支配していたのじゃから、その帝国が「人」に滅ぼされるのも当然じゃ。

そして、滅亡の淵に立たされたロスコルムの神知者たちは思ったのじゃ。ああ、預言者フレストル ―彼の上に平安あれ― はかような人間の本性、かような我々の運命を御承知あられたのだ、と。こうして、ロスコルムに聖フレストルの教えが復活したのじゃ。かのスノーダル公もまた神知者の裔であられたが、彼の方はそれまでご自分が何百年とかけて培った技術のすべてを投じて、自らがよかれと信じることを為し遂げられた。たとえそれが誤りであったとしても、王子の献身の尊さは些かも損なわれはしない。ロスコルムの人々がフレストル派を支持するのは、そのシステムゆえではなく、その行動哲学ゆえなのじゃ。そして、ロスコルム人一人一人がそのような聖フレストルの御心を受け継いでおったから、我々は100年の孤立に耐え、しかもまた同じ理想のために統一を回復できたのじゃ。


ラヴィよ、聖フレストルの御心を受け継ぐ者よ、お前は儂のようにくすぶり続けることなどなく、世界に燦然たる光を投げかけてくれ。」

ラヴィことラヴォレアンヴィ・マクウェインはその後、15才で元服するや、ラヴィの父のかつての師匠カッスルレーのたっての願いで、その門下に入らされた。ラヴィは元服より、そのブリソス語に由来する気障な名を嫌って「死の翼」と自称するようになったが、師匠は相変わらず彼をラヴィと呼び続けて、教えを授けていった。

Extremum Scriptum "Historia Loskalmæ"