グローランサにおける固有名詞の読み方
Pronunciation of Gloranthan Names
http://www.glorantha.com/library/prosopaedia/index.html#pronunciation
Transliterate Pronuncation Japanese   Transliterate Pronuncation Japanese   Transliterate Pronuncation Japanese
a ə / ɑ / æ (ア)   b b バ行   q k カ行
ae ei (エ)イ c k カ行 qu kw クァ行
ah ʌ (ア) ch ʧ チャ行 r r ラ行
au o (オ) d d ダ行 rr ʀ ラ行
e / he ɛ (エ) f f ファ行 s s サ行
ee i: (イ)ー g ɡ ガ行 sh ʃ シャ行
i / ih i (イ) h h ハ行 t t タ行
igh ai (ア)イ j ʤ ジャ行 th ɵ / ð サ行/ザ行
o ɔ (オ) k k カ行 v v ヴァ行
oe ɶ (オ)ゥ l l ラ行 w ŋ ワ行
oo ɸ (エ)ュ m m マ行 x ks / gz クサ行
u / uh u (ウ) n n ナ行 y j ヤ行
-r ɼ ー(ル) ng ŋ z z ザ行
-h ʁ (口蓋垂摩擦化) p p パ行 zh ʒ ヅァ行

公式

 [グローランサ名の発音を表記する際は]音節が強調されている。子音は常に確定され、読み方は一通りで[統一されて]ある。すべての「S」は歯擦音であり、それが「Z」の音なら“Z”と表記される。口蓋垂摩擦音の「R」(1) は「RR」、摩擦音の「J」は「ZH」と表記される(2)

 合口音の「O」は“O”、開口音の「O」は“AU”、字母通りの「O」は“OE”と表記される(3) 。合口音の「A」は“A”、開口音の「A」は“AH”、字母通りの「A」は“AE”と表記される。合口音の「E」は“E”ないし“EH”、字母通りの「E」は“EE”と表記される。合口音の「I」は“E”ないし“IH”、字母通りの「I」は“IGH”と表記される(4)。合口音の「U」は“U”ないし“UH”、字母通りの「U」は“OO”と表記される(5) 。“Y”の字は "yawn" のように、常に発音される。ただし、 "coin" の“OI”のような発音を表すためには「OY」が用いられる。アポストロフィー(’)は非常に圧縮された短い“I”の音を表している(6)

  1. [ʀ] trill. フランス語の「R」がそう。ガラガラうがいをするような感じで発声する。日本人が聞くと「ガ行」に聞こえるが、これは「R」のバリエーションであり、表記では「ラ行」である。

  2. [ʒ] 英語の measure の「S」がそう。発音記号では、日本語の「ジャ」や「ジ」の発音は [ʤ] だが、この摩擦音の「J」は [ʒ] である。舌先を歯や歯茎につけないように [ʃ] を有声化して柔らかく発音する。中国語の「ZH」も同じ音で、これを日本では「ザ行」、まれに「ヅァ行」で表記する。私は後者の書き方を支持する。

  3. [o / ɔ / ɶ] "broad" は口を開いて母音をしっかり発音し、"short" は口をすぼめて母音をつけたし程度に発音する。"long" は字母の呼び名通りの発音をする。"o" の字母の呼び名通りの発音は [ou] であるが、ここではこれを "ö" とみなす。口を丸めて「ウ」と発音する。

  4. [ai] これは "night" の -igh であろう。

  5. [u / ɸ] "u" の字母の呼び名通りの発音は [ʝu:] であるが、ここではこれを "ü" とみなす。口を丸めて「イ」と発音する。

  6. ['] 子音の字母が "short i" で終わる、ということだろうか? セム語がそうである。

私的意見

字訳という作業

 「字訳」という作業にはつねに困難がつきまとう。まず、アルファベットでは発音できない音があるときはアルファベットを組み合わせたり、補助記号を付けなければならない。また、対象がアルファベットのような表音文字でない場合は文字と文字との一対一対照はできないし、あるいは、読み方が固定されていない場合、訳者が読み方を特定する必要もあるだろう。

グローランサの文字体系

 ペローリア語派の言語は表意文字で書かれる、ということをどこかで読んだが、これはありそうな話である。

 人間は具象物を擬音語で表現することを学ぶと、やがてこの擬音語を組み合わせて抽象概念を表すようになる。文字も、擬音語と同じように具象物を絵で表し、それを組み合わせて抽象概念を表す文字も作られるようになる。だが文字の場合、具象物を表す擬音語と簡単な絵が等しいものとみなされて、本来具象物を表す簡単な絵が音そのものを表現するようにもなる。このようにして、最初の文字は表意文字と表音節文字の組み合わせとして成立する。エジプトの神聖文字や日本の万葉仮名がそうである。

 続いて、時代が下り文字を書く用途が増え、文字を学ぶ層が広がると、文字数の多い表意文字は用いられなくなり、表音節文字のみが用いられるようになる。これは、ミノア文明の線文字Bや日本の仮名がそうである。こう書くと、中国語は不便にもかかわらず頑固にも表意文字を固持し続けたかのように思われるかもしれないが、そうではない。中国語では、一単語が一音節(声調も含む)で表され、それに一つずつ漢字が対応しているのであり、表意文字にして表音節文字なのである。これを「表語文字」と呼ぶべきである、と主張する人もある。

 さて、さらに時代が下って表音節文字がアルファベットのような表音文字になるか、といえばそうとは言い切れない。アルファベットは、母音が音調を調えるためだけに用いられ、単語の意味は子音の構成のみによって決せられる、という特殊な言語であるセム語ではじめて発明された。実際、かつて用いられたことのあるすべての表音文字はフェニキア文字ないしアラム文字に由来している。表音文字は便利な文字で、多くの単語が音ではなく表意文字の持つ意味に依存している言語(中国語や明治以後の日本語)を除いて、すべての言語の文字にとって変わった。その変化は楔形文字を何千年も使い続けて確固とした文字体系を有していたペルシア語でも免れなかった。

 ペローリア文明は、ヴォルメインと異なり、ジェナーテラ大陸のすべての文明と接触があり影響力も強い文明である。この文明が表音文字を使っていない、ということは、少なくともジェナーテラ大陸では表音文字を使っている文明はない、ということが言えるかも知れない。(もちろん、単に過渡期であるかもしれないが。)

 そして、表意文字や表音節文字であるグローランサの文字で書かれた固有名詞を訳すには、上述のように、字訳文字決定が訳者の判断に依拠するのである。

グローランサの言語の字訳

 我々はグローランサの知識を、グレッグ・スタフォード氏やサンディ・ピーターセン氏など「グローランサを視ることができる人たち 」による報告に拠っている。

 アルファベットで表現できない音を符号ではなくアルファベットの複合で表現するのはともかくとして、アルファベットで表現できる音を別のアルファベットで、しかも音構造のシステムが流動的な英語の字母を用いて表現するのは、あまり学問的には評価できない。

 だが彼らは学者というよりも、観察者である。ギリシア人であるヘロドトスはギリシア人読者が理解しやすいように、アジアやアフリカの固有名詞をギリシア語化した。同じように、アメリカ人である彼らはアメリカ人読者が理解しやすいように、グローランサの固有名詞を英語化したのであろう。

 加えて彼らがグローランサ学に先鞭をつけたのであり、後塵を拝する我々はこれに敬意を表する必要がある。"Jar-eel" を音韻学に基づいて "Djar Îl" と表記するのは、グローランサ学界では節度ある態度ではない。

残された問題

 このような字訳決定がなされているにもかかわらず、グローランサに関する文献を読む際、表にはない子音の連なりなどが我々を困惑させる。だがこれは、上述の「先達たち」の態度からみて、英語に基づいた音を当てて大過ないと思われる。

 一方で、グローランサの言語の多様性にもかかわらず、我々はそれに困惑することがない。というのも、ロスカルム語であろうとテシュノス語であろうと、おなじルールの下に字訳文字が決定されているからである。だから、セシュネラ語をフランス語のようにみなして "Noyelle" を「ノワイユ」と読むのではなく「ノイエッレ」と読むのであり、クラロレラ語を中国語のようにみなして "Fanzai" を「ファンツァイ」と読むのではなく「ファンザイ」と読むのである。

 文献はすべてまず英語で公表されるため、我々は固有名詞に見える英語の「訓読み」に戸惑う。これらも本来は大文字やクォーテーションを用いて区別しやすいようにすべきであろうが、そのような仕事は研究者である我々の課題であるとも言える。当面、我々はこれを区別するのにもっぱら経験に頼らなければならない。"Jar-eel" はなぜ「ジャ・イール」であり、「“ウナギなる”ジャ」ではないのか? "Black Eel River" は「黒ウナギ川」なのに。これは「変だから」という感性ではなく、「ジャ・イールはルナー三皇家の一つ、イール・アリアシュ氏族の出自である」という事実に基づいて、このように読むのである。

 なぜわざわざ訓読みする固有名詞があるのか? 一つにはその固有名詞が言語によってさまざまに呼ばれるからであろう。例えば、「竜の峠」、通称「ドラゴン・パス」は新ペローリア語、エスロリア語、それぞれで呼び方が違うはずである。もう一つの理由として、意味を有する固有名詞が珍しい、ということがあるかもしれない。グローランサのほとんどすべての山、海、川、湖、あるいは街にはそれぞれ個有の神があり、これらの名はその神の名そのものかそれに由来するものである。神の名は人間が名付けるのではなく、神の本質とともに元からそこに有りて在るものであるから、人間にはその音の意味が分からないのである。ただし、グローランサの言語では、その単語が擬音語やその組み合わせではなく、神の名に由来している場合も多く、そのために意味を持つこともあるが、神の名は本質ではなく音で表記されるので、この場合も訓読みはしない。

 最後に、慣例化してしまった読み方という問題がある。例えば、ルナー帝国の首都 "Glamour" は「優美(な都市)」という訓読み表記であり、通称で「グラマー」と呼ばれていた。だが最近、第一の月の霊感である女神 "Glamour" に関する史料が発見され、この優美な都市の名はこの女神に由来することが明らかになった。だが、この女神は「偶然に」優美さを備えているが、この女神を「優美」とは呼ばない。それは、サーター語で嵐のことを「オーランス」、雨のことを「ヘラー」と言っても、オーランス神を「嵐」、ヘラー神を「雨」と呼ばないのと同じであり、神の名は本質ではなく音で表記されるのである。これは、我々が目にする具象は神の相の一部であり、本質は捉えがたいものだからである。このさまざまな相を有する本質に限っては神の名と同じ名で呼ばれる(その本質を神と言うのだから、当然だが)。したがって、女神「グラムール」に由来するルナー帝国の首都はやはり「グラムール」と呼ばれるべきである。だが、前述の史料が発見されるまでに、すでに数多の価値ある研究書が著されてきた。我々のグローランサ理解が上述のような些細な問題で煩いが生じてはならない、という配慮から「グラマー」という慣例化した誤読は公認されており、さらに都市「グラマー」が女神「グラムール」に由来することが明らかであるように、この女神も意図的に「グラマー」の名で呼ばれている。

 大事なことは、グローランサにおける固有名詞の字訳作業は、グローランサ理解の促進のためになされているのであって、それを阻害するためではない、ということを認識しておくことである。