ジャダランの夢の書 第五巻 |
Djadaranin Habnamesi no. 5 |
55th - 56th Fir 1620 |
我が妻、ムアルンが泣いている。彼女を慰めようと私は言葉を繰り出すが、彼女には届かない。そこで私が彼女の肩に手を伸ばすと、彼女はおびえた目で私を見据えた。
彼女の視線にひるんだ私は、そこで目を覚ました。
先日来、南で大きな戦があると聞いた私は、裏街道を南へ進んでいる。サーター街道は尊大なダラ・ハッパ人と卑しい原地人がそれぞれに関税を取り立てていて、とても進む気になれない。と、私が気付いたのはアルダチュールに達した頃であった。近づく戦に往来が増しており、近視眼で貪欲な彼らには今年は格好の稼ぎ時らしい。
裏街道はボールドホームを避け、ルーンゲート、クリアワイン、ウィルムズチャーチへと至る。今日は、ルーンゲートを去って2日目である。谷間の険しい山道を慎重に進んでいた目の前に、兎が駆け下りてきた。私はこんな小動物ごときにひるんだりはしなかったが、これを狙っていた鷲が私の眼前を掠めていったときにはさすがに体の均衡崩した。体を翻してこれをかわそうとしたとき、潅木の枝が私の荷をさらい、無情にもそれを谷間に放ってしまった。
かの荷こそは、我が魂、先祖伝来の逸物の弓。かの弓に刻まれた黄金の頌詩こそは、我が祈り、宇宙の真理。私はこの宝物を、かの名高いエルズ・アスト織りの綿布に包んでいたのだが、これが枝に捕らえられたのだ。
見れば、眼下には黒ウナギ川にかかる娘の道にも匹敵する深い谷。これでは私ひとりの手には負えぬと、私はこの弓を落とした地点に顔料で目印を書き、応援を求めることにした。
裏街道を進んで、天道が中天に達する頃、私はようやく集落に達した。後に聞いたところでは、アップルレーンという集落であった。
私はさっそく集落で唯一の宿場にして酒場にして飯屋に入り、店主に銀貨を握らせて、この集落に腕が立って信頼できそうな男がいるかを尋ねた。すると店主は黙って奥で食事をする一人の男を指差した。男は金髪に日焼けした小麦色の肌をしており、露出度の高い綿織物をまとっていた。その食事するさまは、人品卑しからぬ風で、私は相談するに値する男だと値踏んだ。
店主が何かを答えようとした刹那、扉が開かれ、もう一人の若者が入ってきた。
私はこの若者の身体つきから彼が訓練を受けた人間であることを見抜き、言葉遣いから原地の人間であることを悟って、彼にも手伝ってもらうことにした。
店主は奥へ引っ込むと、長い、しっかりしたロープを持ってきた。値段を聞くと、45、と答えた。それはふっかけ過ぎと思ったが、こやつも先の話を聞いて、私の足元を見ているのだろう。時間が惜しいので、値切りもせずにそれを買った。
若者は自分の名前を叫ぶと、走って外へ出て行く。10分程して、再び扉が開かれたとき、そこに立っていたのは、何と言うか、偉丈夫であった。毛羽立ってはいるが、仕立てたときには大枚をはたいであろう黒いビロードの服を痩身に纏い、真っ白の美髯を蓄えた老人…、否、このような表現が許されるなら、超老人。禿頭に浮かんだ老斑は誰よりも濃く、黄色味がかった双眸は誰よりも落ち窪み、その上から枝垂れかかる双眉は誰よりも長い。古の、数世紀を生きたとされる古代ダラ・ハッパの帝王たちも、これほど老けてはいないだろう。老人は戸口で立ち止まり、私を見据えて、かくしゃくたる口調でのたもうた。
かくて、私たち一行は現場へ向かったのだが、先ほどから運命の歯車は微妙に軋み始めたようだ。さらなる荷物を私は背負わねばならぬことになった。集落を出しな、私たちを呼び止める者があったのだ。それは妙齢の女性ではあったが、私の関心を喚ぶには至らない。不美人というのではない。彼女は、旅の埃のためとばかりは見えない、いかにもみすぼらしい服を纏っていたが、私も農村の出、貧者を厭う気もない。彼女のみすぼらしい服とは対照的な、きわめて洗練された機能的な履物が、彼女が必要と思われることにしか金を使わない守銭奴と呼ばれる種族に属することを雄弁に物語っていたためである。
以後の話は、両者ともエスロリア語になってしまい、私には聞き取れなかったが、女が証文書とおぼわしき書類を提示するに至って、マルティールが形勢不利に陥っていくのが看て取れた。そこで、私は助け舟を出すことにした。
女は無料で名前を教えるのも勿体ない、と言わんばかりの不承不承の口調で答えた。まぁ、足手まといにならなければどうでもいい。女は私たち4人と少し間を空けて着いてきた。
夕暮れに先立って、ようやく私たちは現場と思わしき場所に到達した。崖は深い。私たちは2人の若者のうち、より小柄なマルティールにロープを結わいつけ、残りの4人がロープを支えて、彼を崖の下へと降ろした。崖はオーバーハングになっており、その洞には大小の亀裂が走っていた、ということだ。彼は、その亀裂の一つに白い布で包まれた何かが挟まっているのを、目敏く見つけた。目当てをと思わしきものを見つけて喜ぶ私たちに、彼はこうも報告した。洞は何かの巣になっているようで、そこには人頭大の卵が5つ並んでいた、と。私は、すわ鳳か、地竜かと緊張したが、私の雇った戦士たちは易々と与えられたゴールの前に立ちはだかる障害を、むしろ喜ぶ風であった。
結局、持ってきたロープでは長さが足りず、ここから洞に降り立つことはできないらしい。いったん崖下に戻って、下からこの崖の洞に達するほかなさそうだ。下から来たときにここがすぐ分かるよう、マルティールを降ろしたロープの先に白い布を巻きつけ、ここに垂らしておくことにした。
そして、私たちは崖下に下りてきた。崖の壁面に達するには、潅木生い茂るなだらかな斜面を登っていかねばならない。私たちは原地の若者、ギドに先導を願った。
ギドは自信に満ちて私たちを導いていったが、どうしたことか、崖の道を登る時間よりもずっと歩いているのに目印の白い布が見えない。ギドを除く全員がそう思っていたようだ。私はいったんこの斜面の入り口へ戻ることを提案した。
入り口に戻る頃にはすっかり日は暮れていた。食料もない私たちは、空腹に耐えてそのまま野営した。見張りは、夜半まではギドが、以後はマルティールが受け持つことに決まったらしい。
この夜は、ギドに叩き起こされたため、夢を見ずに目覚めた。
見渡すと、“剣の中の剣”はすでに起きて立ち上がり、耳を澄ませていた。私もそれに倣うと、重いものを引きずる音と、shur shur ないし thur thur と舌擦音のような音が聞こえてきた。
一人ごちると、彼は手馴れた捌きで鎧を身に付けていった。私も自分の鎧をまとい、槍を握り締めた。
しばらくして、手前の潅木が揺れた。最初の一頭が姿を現すや、リズは手にしていたダートを投げつけた。まったく見事な腕前。ダートは哀れな一頭の肋骨をすり抜けて深々と刺さり、それは力尽きて地に伏した。潅木はさらに揺れ続け、最終的に残る5頭のトカゲが姿を現した。これらは思いもよらぬ攻撃に怒っているようだった。
岩トカゲはこうした山に棲む、根菜や動物の死骸を食する害のない動物で、岩場でまどろむ姿には愛嬌さえ感じる。だが、いまこのとき、これらの進路上にいた私たちにとってはその大きさが脅威だった。これらはロバほどもあるのだ。私は哀れと思いつつも槍を繰り出した。
他の4人はどう思っていたのかは分からない。だが、彼らも眼前の巨体な動物が与えうる脅威に対する認識は共有していただろう。彼らもそれぞれがそれぞれの獲物でこの哀れな爬虫類を屠っていった。大トカゲがすべて倒されると、これらが護衛していたのであろう、20匹ほどの小さなトカゲが蜘蛛の子を散らすように方々へと走って行った。
私たちはトカゲの遺骸を茂みの方へ押しやり、いまだ血の匂いは消えないが、視界に入らないようにして、再び寝入ることにした。だが、一仕事終えて辺りが静まり返ると、私たちが舌擦音に囲まれていることに気付かされた。大トカゲは6匹だけではなかったのだ…。
ジャダラン:ホーレイ出身の弓騎兵。黄金弓の信者。人間の男性、41歳。 Djadaran: a Cavalry Archer from Holay; an Initiate of Golden Bow; Human Male, 41. |
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