エミーネ、義人たちとまみえるの巻 |
Emine Meets the Righteous Men |
Prax, 28th - 35th Earth 1622 S.T. |
私の名はエミーネ・ハナルダ、大神アーナールダの大いなる癒しの業に帰依する薬師です。
私は17の春から国と信仰を守る方々のお手伝いをさせていただいてまいりましたが、にもかかわらず彼らは私の目の前で次々と死んでいきました。私たちの時代には確かに命は安いものでしたが、それだけにそれによって贖われた真実と栄光は計り知れない輝きを放っていました。
私たちの子供やさらにその子供たちは暖かい大地に包まれて、平和の中に生きるのでしょう。確かに私たちはそれを望んでいます。ですがそのような時代には大いなる不正がはびこり、真実と栄光がさび付いてくすみだすことを伝承は教えてくれています。
あなた方が迷いの淵に立たされたとき、あなた方の導きとなることを祈って、私たちの時代の輝きをインクの中に封じ込めておこうと私が思ったのは、私を守ってあの方(1)が亡くなったときのことでした。
私は1600年、ノチェット郊外の独立自営農民の長女として生を享けました。
家は新鮮な野菜やミルクをノチェットに送って豊かな生活を営んでいたそうですが、この豊かさが父に破局をもたらしました。馬と武具を自弁できる父は1602年のビルディンウ・ウォールの戦いに赴き、そこで戦死しました。
1607年、母は「私は妻でなければ生きられない女なのだ」と私に弁解して再婚しました。今では母の寂しさに共感できますが、当時は無理でした。婿入りしてきた養父も、私を厳しくしつけてくれて、今から考えれば素晴らしい方でしたが私は好きになれませんでした。なんと言っても彼は戦場に赴くことはありませんでした。国と信仰に殉じた父への慕情は彼によって掻き立てられたようなものです。母の話と肖像画によってしか知ることのない父でしたが、後婿を得る前の母の話と、肖像画に描かれた口髭を洗練されたカットにした薫り立つ中年男性像は、私にして父をオーランスの化身もかくやと思わせたものでした。思えばあれが私の初恋だったのかもしれません。
母と養父の間には、私とは年の離れた兄弟姉妹が5男3女もうけられました。まさに、休みなしです。母や養父が私をないがしろにするということはなかったのですが、私の方が勝手に疎外感を抱いて、私はもっぱら本を読んで成長しました。そして父の理想に共鳴して、この知識を国と信仰のために生かしたい、とも望むようになりました。
そして1615年、私はノチェットの大寺院で他の少女たちとともに“癒し手”アーナールダ女神への入信の儀式を果たしました。このときは少女たちと抱き合って喜んだものですが、このとき私たちは赤い影が神々に祝されたこの国を取り巻いていることにまるで気づいていませんでした。彼女たちの何人かはペローリア人に暴行を受け、奴隷として寒い国へと連れていかれました。
私たちは2年の見習いの後、各地に従軍看護婦として転戦しました。1618年のノチェットにも、1619年のカーシーにも私たちはそこにいました。そして運命の1621年のホワイトウォールにも。この頃は、私たちは看護婦というよりも屠殺業者でした。瀕死の戦士たちの最後の水を飲ませて苦しまぬように神々の元へ返してやるのです。この時期のことは、まだ私の心の整理がついておらず、書くことが出来ません。
ホワイトウォールを逃れた私を含む生き残った一部の人間は各地に散っていきました。私は新パヴィスに本拠を置く「サーター解放機構(SLO)」に身を寄せました。“紫の”ミナリスはプラックスを散々に褒めちぎっていますが、ここには乾燥した砂と無精髭の男たちしかありません。ですが彼らは、矛盾した表現ですが、紳士にして勇者でした。それだけは誉められるし、それは他の不備を補って余りあるものでした。
私が SLO に身を寄せて半年後くらいのこと、事件が起こりました。パップス付近で得体の知れぬものが現れたという情報があり、これを捜査に行った SLO の人間が戻ってこない、というものです。わがアーナールダの大祭の週(2)に、SLO 内でも中位を占めるキンスターニ殿が彼らの捜索を発案し、これが受け入れられ、彼は捜索隊を組織することにしました。その捜索隊に私が抜擢されたのです。SLO に入って初めての大仕事です。
キンスターニ殿はペローリア人たちから“反乱者”と代名されるほどの大丈夫、彼に従う私はまったくのおまけですが、万一に備えもう一つのおまけがつけられました。フマクトの傭兵です。祭りの最後の日、私たちは初顔合わせをしました。
私は物知らぬ東夷に「本当の言葉」を教えて得意になっていましたが、キンスターニ殿までが不思議なものを見るように私のことを見ていたのには気づきませんでした。
キンスターニ殿は使い込まれたリングメイルをまとい、ブロードソードを腰に下げて颯爽としたものでした。これはサーター軍の標準装備ですが、鎧の軍票は削ってつぶされています。彼の志を示すのは剣身に刻まれたオーランスのルーン。これを見て生きて帰ったペローリア人はいないというのがご自慢でした。
私はといえば、肘とふくらはぎのところまでで裁断されたローブと、革の胴鎧、そしてお気に入りのスカルをクイルブイリ加工した緑色の革の帽子をまとって、手には医療鞄です。ローブを裁断するのはエスロリア軍医療班の規定なのですが、男たちも裾から覗く白い脚が嬉しいそうなので、ここパヴィスでもそれを着ていました。もちろん今回のような旅路では脚絆を巻きますけどね。
オズヴァルドはといえば、ただ一本のグレートソードを背に負っています。まさに剣に生きるフマクトらしいスタイルです。みなそれぞれがあたりまえの格好をしながらも、それがすでに各々を体現していました。なのですが、当時の私にはただ一つ、気にならないことがありました。
砂漠での旅は朝と夕方に移動します。昼は暑すぎ、夜は寒すぎていずれも体力を消耗するからです。この限られた時間にしか移動できないのですから、確かに無駄話などしてはいられません。私たちが昼や夜に毛布に包まって休んでいる間にも、勇敢な戦士たちは野ざらしで苦しんでいるかもしれないのですから。
プラックス! ここには何もありません。木すら生えていないのです。なだらかの丘と枯れた草、それだけです。私はこの、何もない、という新鮮な風景にしばらく魅了されていましたが、3時間もすると案の定すっかり飽きてしまいました。自分が進んでいる、という実感すらないのです。私が飽き始めた頃、私たちは大岩の陰で野営することにしました。
野営といっても火をつけるわけにはいきません。エスロリアでは想像も出来ませんが、こんな何もないところでは、ハジアの火ですら地平線のかなたから見つけることが出来ます。ルナーの巡邏や遊牧民たちがどこにいるかもしれないのですから、火には細心の注意を払わなければならないのです。といっても、燃料を持ってきているわけでもないのですが。
私たちは干し肉をグルテンでくるんで、それを黙々と食べました。水は貴重なので、よく噛んで唾液で押し込むのです。
夜の見張りは責任感の強いキンスターニ殿が買って出ました。私とオズヴァルドは寒いので一緒の毛布に包まりましたが、オズヴァルドがごそごそと動くので私はなかなか眠れません。早く慣れてくれるといいのだけれど、と思ったものです。夜半過ぎ、キンスターニ殿が私を揺り起こしました。寂しくなったのかな、と推測して、彼をかわいらしく思ったのですが、こんな身体も拭けないようなところなので、私は寝たふりをして、他の男の名前をつぶやきました。キンスターニ殿はこれから先、私を起こすようなことはありませんでした。彼は紳士でした。
こんな旅を8日間続けたあとの日の夕方、私たちはくぼ地を歩いていました。くぼ地に風が渦巻いて、私たちを砂で苛んだあと、私たちは丘の上に騎馬の群れを見出しました。夕日に映える赤いマント、ルナーの巡邏です。先ほどの嫌な風が馬蹄の轟きをかき消していて、私たちはここに至るまで彼らにまるで気づきませんでした。
そう言うと、オズヴァルドは私を抱え込んでひた走りにその場を離れました。ルナーの騎兵たちは私たちを大囲いに取り囲もうとします。
すると、騎兵たちの中からひときわ立派な男が進み出てきました。
ルナー騎兵たちはキンスターニ殿を取り囲み、そのうちの一騎、おそらく敵の隊長は猛然とキンスターニ殿に突進していきます。キンスターニ殿は盾を捨て、半身を乗り出してブロードソードを上段に構えます。せつな、キンスターニ殿はブロードソードを突進してくる馬の脚へと投げ込み、敵の乗馬は横転、騎手は落馬しました。すかさずキンスターニ殿は短剣を抜いて躍りかかり、敵を後ろ手にねじ上げました。
そして、何本もの槍が二人の上に落ちかかりました。
この間にもオズヴァルドは私を抱えてひた走りに走り、戦いの土煙が丘の向こうに隠れるほど離れたところで横穴を見つけて、ここにトカゲのように潜んで岩で入り口にふたをしました。私はといえば、オズヴァルドの背中を噛み続けて顎が痛くなっていたのですが、穴に入るとオズヴァルドは私の疲れた顎に腕を噛ませて騒げないようにしました。私は鼻息をふーふーさせて、オズヴァルドを睨み続けていましたが、真っ暗だったので分からなかったでしょうね。
しばらくして、穴の外を馬蹄が駆け抜けていきました。それからなお10分ほど、私たちはなりを潜め、それから穴から這い出しました。
そう言い放って、私は毛布をかぶりこみました。私は何かとオズヴァルドにいけずを言ってしまいがちですが、何を言っても受け入れてくれ、守ってくれるオズヴァルドに私は甘えていたのかもしれません。
翌朝、私たちはキンスターニ殿の遺体と荷物を捜しに行きました。昨日の戦場には、盛り土が二つあって、一方にはブロードソード、一方にはシミターが刺さっていました。ブロードソードの刺さっている方の盛り土を掘り起こすと、そこには首のないキンスターニ殿の遺体が横たわっていました。
そうつぶやいて、私は遺体を一撫でしました。その横で、オズヴァルドはブロードソードとシミターを振り比べていました。今は戦時、しかも私たちは不正規軍。遺品を漁るなど日常ごとです。ですが、
私にペローリア人の感傷主義が乗り移ったようでしたが(4)、オズヴァルドもわかってくれました。私たちは彼らを再び埋葬し、旅を続けることにしました。
今夜は9日目の夜営にあたります。いまだ誰一人発見できず、かえってキンスターニ殿を失い、私はふさいでいました。
オズヴァルドは元来おしゃべりではないのに、この日は一日中、私を励まそうと私に盛んに話し掛けていました。ですが私は、ふさぎこみを越えて、いらいらしていました。
オズヴァルドはサラダを口にほおばると目を見開いて、慌ててスープに手を伸ばします。しかし、スープを口にすると今度は目の端に涙を浮かべました。
私はオズヴァルドに今夜の料理の材料となった、この地に生える野草の根を投げつけました。オズヴァルドがそれを齧ると、彼は今度は青い顔になりました。
今度はオズヴァルドは文句を言わずに私の料理を食べました、黙々と。
二人の咀嚼音だけが何もない荒野に響き渡っているとき、オズヴァルドの耳がぴくりと動きました。
オズヴァルドは身を潜めて丘の上にのぼり、辺りを見渡しました。すると案の定人影が彼の目に飛び込みました。彼は丘から滑り降りて、私を後ろから抱え、片手で私の口をふさぎました。
10分くらい経ったでしょうか。一向に私には物音は聞こえてこず、むしろ私のお尻にあたる彼の体温が気になって仕方なかったので、私は私の口をふさぐ彼の手をぺろりとなめて彼を驚かせました。
オズヴァルドは自分の感覚を信じて、はじめ物音がした方を向いて腰掛け、膝の上でグレートソードを横たえていました。私は彼の足元で、ぴよぴよと寝入っていました。ああは言っても、私はオズヴァルドを信じていたのですね。
そして夜半過ぎ。オズヴァルドはまったく予期せぬ方向、真後ろのしかも至近に物音を感じて慌てて振り向きました。振り向くと、そこには身をかがめてこちらへ忍び寄る、軽装備の女戦士がいました。彼女との距離はおよそ8m。まず声を発したのはその女でした。
私は慌てて後方へ飛び去りました。
そう言ってフィリシアは片手を私に差し出しました。私も差し出して、二人は SLO の構成員にしか分からない符牒めいた握手を交わしました。
すると岩陰から、オズヴァルドと同じくらい大男で、同じような髭面の男が現れました。
こうして私たちは夜をついて移動し、昼にだけ休むことにしました。夜の果てに、朝日に照らされた台座のような大岩を見つけて、私たちはこの岩のくぼみで休むことにしました。
見張りは、ヤルトヴァーン、オズヴァルド、フィリシアの順で立てることにしました。私一人休ませてもらって申し訳なく思いましたが、昨夜、フィリシアがあそこまで迫っているのにぴよぴよ寝ていた私は見張らない方がかえってお役に立てるみたいでした。
でも、私が申し訳なく思うまもなく、事件の方が先にやってまいりました。ヤルトヴァーンが見張る中、午前10時頃、彼はセーブル騎兵の群の到来を見つけました。この休むに格好の大岩は、高い確率で何者かがここで休んでいることを彼らに告げるものでもありましたから、彼らは真っ直ぐにこちらへ向かってきたのです。
ヤルトヴァーンは私たちをたたき起こして危急の事態を告げました。私たちはまだ眠ったばかりとあってすぐさま起き上がり、それぞれに戦支度を始めました。オズヴァルドは私に《防護 IV》 をかけました。フィリシアは自らに 《防護 VI》 と 《抵抗 V》 を施し、さらにオズヴァルドに魔漿石を手渡しました。ヤルトヴァーンは私に剣杖を握らせました。そして、フィリシアとヤルトヴァーンは岩陰に隠れて、弓弦を絞りました。
敵は8騎、うち1騎が隊長のようでした。彼らのうち2騎が斥候として大岩に近づいてきます。フィリシアは彼らが 80m まで近づいたら矢を放つつもりだったそうですが、彼らは 100m 手前で片手を高く挙げ、停止しました。こちらに気づいたようです。斥候は大音声のサーター語で私たちに呼びかけました。
しかし、私たちは下手に返答をしませんでした。ヤルトヴァーンはカイトシールドを私に手渡し、終わるまで隠れていろ、と合図しました。私は右手にフィリシアからの剣杖、左手にヤルトヴァーンからのカイトシールドを携え、なかなかの武者立ちですが、ちょっと震えていました。
斥候のうちの1騎はさらに 40m まで近づいてきました。こちらの無反応を不審に思ったのでしょうか。彼は盾を半構えにして、戦闘態勢を崩しません。すでに、先の戦支度から2分が経っており、精霊たちの加護もあと半分というところです。近づいてきた斥候がもう一度口を開こうとしたせつな、フィリシアは矢で答えを返しました。もう引き返せません。オズヴァルドは静かに抜剣しました。私は、「始まったー」、とか言って、カイトシールドに隠れてカメになってしまいました。
フィリシアの放った矢は残念ながら2射とも外れました。そこで、斥候は萎縮するどころかかえってこちらへ疾走し、8m 手前で馬から飛び降りて突撃にしてきました。これを見た残りの7騎も並足で前進し、その間に互いに呪文を掛け合いました。
フィリシアは後方の7騎のうちの1騎に《惑い》をかけて落馬させ、弓を手放して近接戦闘に備えました。ヤルトヴァーンはなおも矢を放ちますが、2射ともはずれます。敵は距離を詰めてきました。狭い岩場で敵は私たちを取り囲むことは出来ませんが、それでも4人が私たちの前に立ちました。
私は意を決して剣杖を握り締めました。この間にもオズヴァルドは長大な腕を伸ばしてグレートソードを振り上げ、一閃、敵の一人の左脚を切り払いました! この敵はバランスを失って後方へ滑り落ちていきます。続いてフィリシアも敵に切りかかりましたが、これは外れました。ですが、彼女は空を切った剣をすばやく回転させ、さらに別の敵に切りかかりました。私はフィリシアの剣技に驚きましたが、もっと驚いたのは次の出来事です。なんと、彼女の手から剣が離れ、それが回転しながらオズヴァルドに当たったのです! ですが、オズヴァルドの鍛えられた肉体は彼女の剣を跳ね除けました。跳ね返った剣はさらに宙を舞い、今度はフィリシア自身の頭を殴打しました!
こちらの混乱にもかかわらず、敵は襲い掛かってきます。3人は同時に剣を突き出しました。この攻撃をオズヴァルドは剣で受けましたが、ヤルトヴァーンは受けきりませんでした。ですが、ペローリア人のやわい剣は彼の鎧を突き抜けることはありませんでした。フィリシアは幸い、というか先ほどの失敗で崩れ落ち、こちら側に倒れこんできていたので、敵の剣は空を切りました。
私は慌ててフィリシアのほうへ駆け寄り、《治癒 II》に 5 だけ増強してかけたのですが、彼女の《抵抗》は私の行為を拒みました。「なにぎょうさん《抵抗》かけとんねん!」と私が突っ込みを入れると(7)、彼女は傷口から鯨のように血を迸らせて応じました。戦場では、オズヴァルドの剣は敵に受けられましたが、ヤルトヴァーンは見事に敵の左脚を切りつけ、この敵を向こう側へ追い落としました。
私たちが思わぬ強敵であることを悟ったのか、敵の隊長が命令を発すると戦場に残っていた2人の敵は岩から後ろへ飛び降りました。オズヴァルドとヤルトヴァーンもこれに呼応して、私とフィリシアのいる方へ降りてきました。私はといえば、フィリシアへの《治癒》を続け、今度は成功しましたが、彼女の抵抗のおかげで意識が朦朧としてきました。また突っ込もうと思ったけれど、今度はやめました。せっかく血が止まったのですから。こんな私にオズヴァルドは魔漿石を回してくれました。何とかもう一度 《治癒》がかけられそうです。ヤルトヴァーンは恐ろしい形相で盾を握り直しました。そう、状況は悪化しているのです。敵は大岩を包囲する輪を崩しません。
私の4度目の《治癒》が成功し、フィリシアの意識が戻るころ、敵の隊長は私たちに降伏を勧告しました。
エミーネ・ハナルダ:エスロリア出身の看護婦。“癒し手”アーナールダの信者。人間の女性、22歳。 Emine Hann'ernalda: a Nurse from Esrolia; an Initiate of Ernalda, the Healer; Human Female, 22. |
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