『世界各地を深く知ることを望む者の慰みの書』イントロダクション
Introduction of "Kitâb nuzha al-mushtâq fî Ikhtirâq al-fîq"
 

 ハーシャクス朝に幸あれ。


 この数年間、私は新ペローリア語版の『世界各地を深く知ることを望む者の慰みの書』の研究に没頭してきました。この本は単に『プラックスの書』と呼ばれ、さまざまな書物に引用されてきましたが、マニュスクリプトは原本のエスロリア語版が失われて久しく、このライバンス大学古文書館 No. 1169 と番号付けられた新ペローリア語版が一冊残るのみです。この本の刊行は、歴史学、宗教学、社会学、比較民族学、神話学、言語学など多くの研究家の待望するところであり、ここに新ペローリア語版を現代字訳した刊本を出版することにいたしました。

 『世界各地を深く知ることを望む者の慰みの書』は上質の羊皮紙でできていて、大きさは 30x27cm 、損傷は少ないものの、下側の右の隅のところが焦げています。一度火に投げこまれたものの、燃えてしまわないうちに大急ぎで拾い上げられたようです。おそらく無文字時代の焚書によるものでしょう。本は職業的な筆写者の手になる流麗な書体で書かれており、多くの細密画が差し込まれています。かつては王侯貴族のコレクションの一つだったのでしょう。もっともこの流麗な書体というのが厄介で、この書体で書かれたテキストで現存するものは少なく、現在では判別不能な文字がいくつか見られます。羊皮紙の種類と書体から見て、このマニュスクリプトはゼイヤラン暦17世紀中頃のダラ・ハッパで筆写されたのものであると思われます。

 『世界各地を深く知ることを望む者の慰みの書』のオリジナルの原稿を書いたのは、17世紀前半の“癒し手”アーナールダ女神に仕えたエミーネ・ハナルダということになっていますが、この名はエスロリア語の普通名詞を並べたもので「誠実なる、アーナールダ女神の端女」を意味し、本名であるかどうか判然としません。彼女の出身はエスロリアですが、その主な活動は新パヴィス市を中心とするプラックスおよびその周辺で、外国人である彼女は現地人が見落としてしまいがちな些細な事柄を逐一報告してくれています。ことに、17世紀の中央ジェナーテラはいわゆる「英雄戦争」と呼ばれる戦乱の時代であり、彼女のような知識人も冒険に駆り出されましたが、文字を知る者の少なかった当時に彼女のような知識人が広く世界を旅して記録を残したことは、不謹慎ながら、研究者にとってはありがたいことです。

 彼女の記録からは当時のプラックスの定住民および騎獣遊牧民の生活を伺い知ることができるばかりでなく、強勢を誇った旧ルナー帝国の辺境統治の様子を知ることもできます。

 エミーネ女史の文章は自由闊達にして読むものに深い印象を与えるもので、私がどれほどそれを再現できたか心もとないのですが、とまれこの訳本があなたの研究に役立てば私もこれ以上の幸せはありません。

 なお、本論の執筆にあたっては、各地域に独特の呪文、地名、動植物等の名称は、これをハーシャクス紀元以降に用いられている用語で統一した。

 ハーシャクス暦98年第91日、これを記す。

ライバンス大学人文社会学部中央ジェナーテラ歴史社会科助教授 ウェントン・ヤンチー

 ハーシャクス陛下万歳!