ダンク愛憎譚 |
Amor et Aversatio |
Dangk / Ralios, 33rd. Fire 1617 S.T. |
- 西域
- - 1617 S.T.
フェルスター湖周辺は、古代の2大文明、すなわち古セシュネラを中心とする西方文明とドラストールを中心とするゼイヤラン文明の交わったところであり、古くから開け、独特のセイフェルスター文明を華開かせていた。しかしながら、混沌神グバージを倒した古代の英雄アーカットが築いた「暗黒王国」がマルキオン教の異端である「神を知る者」派に滅ぼされてのち、その神知者の帝国も滅び、諸都市国家が割拠して、再び戦争と平和を繰り返すようになった。
隣国セシュネラも神知者に支配されていたが、この地に西の彼方の「暁の門」より紫の巨人ルアーサが大挙し、セシュネラの大地を打ち砕いてしまった。未曾有の危機に人々はより「神」、というよりは厳格な戒律を求め、マルキオンの法に忠実に生きる教えと強力な身分制を奉じるロカール派が台頭することとなった。そして15世紀に至り、ロカール派の司祭たちは当時この地で最も優秀な男であったリンドランド公ベイリフェスをセシュネラ王に戴冠した。彼は40年かけてセイフェルスターのほとんどを征服した。そして彼の後継者たちは60年でその領土を失った。しかしながらセシュネラ王国はその「正統な領土」の奪回の機会を虎視眈々と窺い続けている。
セイフェルスターの諸都市は、その「正統な支配者」に対して共同して対抗したり、誼みを通じたりしてさらに混乱はさらに深まったが、民衆たちはこうした状況に絶望し、かつての「正統な支配者」アーカットを奉じて反乱を起こした。いまやセイフェルスターの戦乱は、互いの勢力が互いの「正統な支配者」を戴き、最終局面を迎えようとしている。
- ダンジム伯国
- - 1617 S.T.
セーヌの故郷であるダンジム伯国は微妙な立場にあった。ダンジム伯国はセシュネラとセイフェルスターの接点に当たり、ダランランド伯国を盟主とする反セシュネラ同盟に組みしていたのだが、セシュネラ王国に占領され、同国の男爵に任じられた。反セシュネラ同盟といってもその構成者たちは日和見的で、常にあてになるものではない。したがって、ダンジム伯国はセシュネラの勢力が旺盛なときにはセシュネラ王国ダンジム男爵国を、衰微しているときには反セシュネラ同盟ダンジム伯国を演じているのであった。だがダンジム伯国政府の判断が常に的中するわけではなく、しばしば戦火に見舞われた。そして今はセシュネラの勢いが旺盛であるように思われている。
- セーヌ・エル
- 1595 S.T. - 33rd. Fire 1617 S.T.
セーヌの父、ジロンドは堅気の市民であったが、この国の市民は時にはセシュネラ側に立ち、時には反セシュネラ側に立って、その生涯の少なくない部分を戦場で送る。ジロンドもありふれて徴兵され、ありふれて戦死した。ただありふれていなかったのは、母ロワールが幼いセーヌを捨て、失踪してしまったことである。どこの世界でも幼い子供が一人でいくのは難しい。彼女は盗みを覚え、年を経て女になればより効率的な生活手段も身に付けた。普通の少女が寺院でまず習う呪文は《治癒》であろうが、彼女は《魅惑》を習った。その方が今の彼女の職業には役に立ったからである。
そんな彼女にも好機が訪れた。サイラン市の豪商の息子クアードリが彼女の馴染み客となったのである。彼の家は、ドスキオール川を溯り、カルトリン峠を経て、ドラストールに至る通商路によって、ペローリア地方との交易を手がけているということだ。クアードリは彼女に優しくしてくれた数少ない人間の一人だった。彼はセーヌを救ってくれると言った。セーヌはその世間知らずの坊ちゃん振りにちょっと呆れたが、それはクアードリの純粋な誠実の姿勢への妬みだったのかもしれない。クアードリがダンクに来ているのは仕事であり、それが終わればドロームに帰るに違いない。その時クアードリは自分を連れてってくれるだろうか。ひょっとしたら明日から何も言わずにぱったりと来なくなるかもしれない。そう考えると切なさで押し潰されそうになり、逢うたびに泣きたくなった。
そんなある日のことクアードリが暗く沈んでやって来た。アズィロス伯国がクストゥリア王国とフェルスター湖のタニアー川河口の小島を巡って交戦状態に入ったというのだ。フェルスター湖の西岸にあるクストゥリアは馬上槍試合の優勝者が王となるという変わった制度を採っているが、現在王位に座しているのはセシュネラの青年であった。アズィロスの背後には、近年「アーカットの顕現運動」の盛り上がりから反セシュネラ熱の高まるセンタノス女公国がいる。クストゥリア王の意図にかかわらず、セシュネラ王国はこの戦争に干渉してくるだろう。そうなればセシュネラの属国であるダンジムにいる敵性外国人は無事ではいられまい。事実そうなった。クアードリはリストに載るほどの大物ではなかったから幸い無事だったが、彼の父は政府の命令により拘束されてしまった。捕らえたのはダンク北区捕盗頭ミロード・デ・テースという女だそうだ。
そしてクアードリは次のような提案を持ちかけた。デ・テース家にはミロードのほかには老いぼれた父親と数人の女中しかおらず、ミロードの留守をねらってミロードの父を人質に取り、クアードリの父の返還を要求するというものだ。セーヌはデ・テース家の不用心さを訝しく思ったが、クアードリはそれはミロードが腕に自信があるのと、ミロードが女性であるという両方の理由によるためであろうと言った。そして、セーヌがミロードの父を取り押さえ、クアードリと彼の父は逃げおおせる。セーヌ自身はセンタノス人に脅されたといって許しを乞う。そうすればみんなでサイランに帰れるのだと、クアードリはセーヌを励ました。セーヌにはただ黙ってうなずくことしかできなかった。
- 襲撃
- 33rd. Fire 1617 S.T.
セーヌはクアードリの言葉だけを信じて、とうとうデ・テース家の前まできてしまった。私は自分の愛と幸せのために他人を犠牲にできるほど惨めな生活を送ってきたのだ。こんな言い訳を自分にしているのはやはり罪の意識が拭いされないのかもしれない。そんなことをぼんやりと考えていたのだが、クアードリに肩をたたかれてセーヌは我に帰った。
- 「
- 老いぼれとはいえ、歴戦の戦士だ。騙し討ちは通用しまい。強襲するしかないだろうが、 君は素手でいいのかい?僕は《耐傷》と《耐魔》の呪文をかけてあげるけど、《深傷》の呪文は武器にしかかけることができないんだ。このショートスピアを使いなよ。君もセイフェルスターナ(セイフェルスター人女性のこと)なら他の武器よりは使い易いだろう?」
セーヌは無言でかぶりを振る。単なる感傷に過ぎないのだが、やはり罪無き人々の血を流させる気にはどうしてもなれなかった。(1)
「わかった。じゃあ、いくよ。」 クアードリはククリの峰でデ・テース家宅の扉を小突く。パタパタと足音が近づいてきて、扉に手を掛け「どなた?」という間もなく、顔を出した女中は、クアードリのククリで両断にされた。哀れな女の死体は血しぶきをあげて崩れ落ちる。血がセーヌの唇に撥ねた。彼女はそれを舐め取る。賽は投げられてしまったのだ。
- デ・テース家をみまった災厄(2)
- 33rd. Fire 1617 S.T.
哀れな女中たちが悲鳴を上げながら次々とクアードリのククリに屈していく。これだけの騒ぎに主は出てくる様子もない。殺戮者たちは獲物を捜して見知らぬ館をはいまわる。いくつの扉を開け、いく人の女中を殺したろうか。背後にただならぬ気配を感じて二人は振り向く。そこには完全武装した初老の男が立っていた。こちらを睨つけるでもなく、静かにたたずんでいるという風だ。幾多の修羅場をくぐり抜けてきた男だけがもつ雰囲気、殺戮者たちは背中に冷たいものを感じた。
クアードリとミロード・デ・テースの父ホッパーは互いに導かれあうように刃を合わせた。何合か打ち合って、劫を煮やしたクアードリは振りかぶり、会心の一撃を食らわせようとした。魔力を帯びて薄く光る彼の剣は、ホッパーのヒーターに深々と突き刺さる。ホッパーは残酷な笑みを浮かべた。
「クアードリ!」 これまで二人の死闘に見入っていたセーヌが、突然ホッパーに襲いかかった。不意を突かれてホッパーが退く。しかしそこは戦い慣れぬ狭い廊下、足を下ろすかかとが壁に付いた。クアードリにはそのくらいの隙で十分だった。速やかに残った足を払い、ホッパーは床に横転した。
「形勢逆転、だな。」 クアードリはホッパーの胸に片足を置き、全体重をかけた。すでに老いたホッパーには自らの鎧とそれに乗りかかる不貞な若者を跳ね返して起き上がるだけの体力はない。
「セーヌ、そこの短槍を取ってくれ。」 短槍を受け取るや、クアードリは胴と足の鎧の隙間にそれを差し込んだ。ホッパーは苦痛よりも無念に苦しむようであった。
二人はまだ生き残っている女中たちとホッパーを縛り上げ、玄関のホールに並ばせてミロード・デ・テースの帰りを待つことにした。
- ミロード・デ・テース
- 1593 S.T. - 33rd. Fire 1617 S.T.
ミロードの母は、彼女を産み落として死んだ。だからミロードは父の手一人で育てられた。ミロードの父ホッパーは騎士としてこの国を守っている。だが常に流転するこの国の状況は国策を不安定なものとし、この国の役人の信用を失わせていた。しかしホッパーは伯爵家に忠実に生きてきた。それは初代ダンジム伯とともに国を築いた建国の功臣であるデ・テース家の先祖の言葉を奉じてきたからでもあった。
そのホッパーも騎士の装備を着けてはまともに戦えなくなるほどに老衰し、引退することになった。だがホッパーはミロードの母の後に後妻を娶らず、嫡子はミロードだけであった。彼女はデ・テース家の騎士の誇りと領地を守るために、父の諫言にもかかわらず男装して騎士の鎧をまとった。だが彼女にしてみればその選択はごく自然なものだった。父親一人に育てられ、人一倍男勝りであった彼女は、少女の頃に女は騎士になれないと知った時のほうがよほどショックだったものだ。
だが前線の男女の別などない兵舎では、彼女の正体がばれるのは時間の問題だった。彼女はすぐさま本国に更迭されたが、伯爵はデ・テース家を重んじ、前線からはさすがに引き下げさせたが、彼女をダンク市の北区捕盗頭に任じた。所領は削減されたが、また手柄を立てて取り返せばよい、ダンジム初の女性軍人を見に集まる人々の嘲笑にもめげず彼女はそう決心した。
そんなある日のこと、アズィロス伯国がクストゥリア王国とフェルスター湖のタニアー川河口の小島ガーリン市を巡って交戦状態に入った。現在のクストゥリア王はセシュネラの青年であり、アズィロスの背後には反セシュネラの急先鋒の一派である高まるセンタノス女公国がいたから、この青年の意図にかかわらず、セシュネラ王国はこの戦争に干渉してくるだろう。そうなればセシュネラの属国であるダンジムはその尖兵となるに違いない。捕盗頭たる自分も敵性人物の捕縛の任を告げられるだろう。我々の伯爵を男爵におとしめ(3)、セイフェルスターを踏みにじるセシュネラ王国のために、彼らに抵抗する人々を捕らえるのは心が痛むが、伯爵のため、デ・テース家のため、そして老いた父のためにそんな感傷に浸ってはいられなかった。先日も反セシュネラ同盟のレジスタンスに武器を売ろうとしていたサイランからやってきたという肥満した商人を捕らえた。こいつは抵抗したので足の腱を切りつけてやった。もうそんなことも気にしていられないほどに多くの人間を捕らえ、殺した。すでに人間がただの数に思われるこの頃であった。
- 女の幸せ
- 33rd. Fire 1617 S.T.
そんな殺伐とした日々を送って間もなく王宮に呼ばれた。軍長官のとなりに大柄な男とエルフの女二人が控えていた。軍長官の説明によれば男は北の大国ロスコルムの騎士、エルフの一人はマニリア地方にあるアーストラの森の司祭だという。なんでもセシュネラの学者に招かれ、ここダンクを通過するところだそうだ。そして長官は彼らをセシュネラの都セギュレーンまで護送するようミロードに命じた。確かにセギュレーンへの道中はソダル沼沢など危険なところもある。だが遠国からここまで来れたような人たちだ、何であともう一歩に苦労しようか? 御役御免だなと悟った。だが命令は命令だ。兵士として志願したときに神と伯爵と父に服従の誓いを立てた。仕方ない、彼らを連れて屋敷に戻り旅立ちの支度をしよう。そしてセギュレーンに赴き、それから…。それから? それからどうするのだろう? それはそのとき考えよう。結婚するのも案外良いかもしれない。女であることがこんなにも呪わしく思われたことはなく、ミロードは人知れず唇を噛んだ。
- 不審な新参者
- 33rd. Fire 1617 S.T.
ミロード一行が馬車で彼女の邸宅へ向かって走っていたのだが、王宮から一台の馬車が彼女たちをつけてきていた。遠回りをしてもついてくるのでミロードは不審に思い、馬車を下りて追跡車を止めた。追跡車からは女よりも小柄だが、安くはない服を着こんだ男が出てきた。男は尋ねもしないのに自らしゃべりだした。
- 「
- やあ、気づかれてしまいましたね。さすがはホッパー卿の御令嬢。わたくしめは伯爵様直参の隠密でフェニーチェと申します。実は伯爵様のご命令で貴女様を御守りするようにとのことで…。ああ、気を悪くしないでください。伯爵様は本当に貴女様のことをご心配していらっしゃるのです。しかしまあ、ばれてしまった以上、いまさら隠れるのも妙なもので、どうでしょうご一緒させてはもらえないでしょうか。」
妙な男だ。そもそも隠密がこんなにあっさり見つかるようで勤まるのだろうか。あるいはわざと発見されたのではないか。普段のミロードならこれくらい洞察していたであろうが、自分がダンジムにとって無用の存在であるとされて意気消沈していた彼女は、「伯爵様のお気持ち」にいたく感動し、そのことに気づかなかった。客人たちは二人のフェルスター語のやり取りが分かろうはずもなく、ミロードの馬車の乗人が一人増えた。
- 嵐の間の幸福なひととき
- 33rd. Fire 1617 S.T.
血の香りがまだ残るデ・テース家宅の外がにわかに騒がしくなる。襲撃者たちは意外に早いこの館の住人の帰宅に狼狽したが、その一人はもう一人に剣を取りながら語りかける。
- 「
- 大丈夫、僕たちはサイランに帰れるよ。すべてが終わったら…、結婚しよう。」
セーヌはばかみたいに口をぽかんと開け、クアードリの目を見つめたが、目を閉じて、さまざまな想いを込めてうなずいた。
- そして破綻
- 33rd. Fire 1617 S.T.
ミロードは自分の家の扉を開ける。いつも小ぎれいだったホールは血と脂で汚されていた。戦場のにおいがする。ホールの向かいの絵の下には、父と女中たちが縛られて座っていた。みな血まみれだ。そしてその側にたたずむ見知らぬ男と女…。女はナイフをホッパーの首に当てていた。
- 「
- 貴様ら…」ミロードは襲撃者たちを睨つけ、剣の柄に手を掛けた。
- 「
- 私は貴女の父を人質にとっています。武器を下げてください。」クアードリは勝利を確信していたが、皮肉な気分になって敬語で脅迫した。ミロードは剣の柄から手を放した。
- 「
- 先日貴女はサイランから来た商人を引っ捕らえましたね? あれは私の父なのです。貴女の父と引き換えに私の父を返してください。」
- 「
- ミロード! こんな老いぼれのために法を曲げてはならん! こいつらを切り殺せ! お前は名誉あるダンジムの騎士であろう!」
- 「
- おじいさんは黙ってて下さい!」と言うや、クアードリはホッパーの腹に一蹴りくれた。
- 「
- さあ、どうします?」
- 「
- ずいぶん、偉くなったものだね、死の商人の片割れのクアードリ君。」一瞬、敵味方全員がフェニーチェを窺った。彼はさらに言葉を次ぐ。
- 「
- そこのお嬢さん、何でこんなカス野郎に肩入れしてるんだか知らないけれど、こいつのおやじはルナー帝国からセイフェルスターに流入する武器を操作してあちらこちらに戦争の火種を蒔いている密輸組織の下っぱで、言わば人の生き血を啜っている奴のおこぼれを頂戴する下の下だぞ。何でも豪商を気取っているらしいが、それは気張るだろうな、このダンジムでお前らの起こす騒動は今度の戦争の戦局を左右するんだろうからな。」
- 「
- 貴様! まさか、いつパヴィスから…? いやそれより貴様がそうだとして、裏切ったのか…?」
フェニーチェの言葉に動揺して、それを否定することも忘れているクアードリ。そしてその姿を愕然として眺めるセーヌ。セーヌはもはや人質に注意など払っていなかった。それを察した女中の一人がセーヌに体当たりする。彼女のナイフは零れ落ちて、カラカラとミロードの足もとで回り続けた。
- 激突
- 33rd. Fire 1617 S.T.
「ちっ!」 音高くクアードリは舌打ちし、ダンジムの女騎士に切りかかる。ミロードも否応なしに応じて火花が散った。エルフの女祭は彼女たちの種族独特の弓を引き絞る。彼女の従者もそれにならう。だが放たれた矢のほとんどはクアードリの鎧に達する前に弱々しく床に落ちていった。なんらかの魔法がかけられているに違いない。そう見て取ったロスコルムの騎士は愛用の獲物を取りに厩舎ヘ走った。そしてセーヌは体当たりされて崩した体勢のまま、視点定まらず、ただ茫然としていた。(4)
ミロードの剣はことごとく弾かれ、クアードリの剣は着実にミロードの身体に赤い線を引いていった。そしてまさにクアードリの剣がミロードの腹に深々と突き刺さったとき、クアードリは背中に強烈な衝撃を感じて振り向いた。そこには高々とふり上げられたセーヌの脚があった。
「こいつが…」 クアードリはこれまでこの女に費やした時間を思い、裏切られたとの実感が激しい怒りとなって全身を貫いたが、その怒りはすぐ氷解した。セーヌの瞳は涙に溢れていたのである。
「セーヌ…」 クアードリは不覚にも肩を落とした。その瞬間、
「セイフェルスターナ!」 の叫びとともに扉が蹴破られ、叫びの主たるロスコルム騎士は振りかぶったポールアックスをクアードリに落とした。クアードリは頭蓋を破られ、その場に崩れ落ちた。セーヌは駆け寄って彼の頭をひざに抱き、その脳奬で胸元を汚しながら、泣き叫ぶでもなく床に座り込んでいた。
- 羨望と嫉妬と憧憬と
- 33rd. Fire 1617 S.T.
腹部に重症を負ったミロードは、床に伏してエルフの女祭の介護を受けていた。その間にフェニーチェは遠慮なしにセーヌにクアードリとの関係を聞いていた。セーヌは嫌がるでもなく、ただ淡々と語り始めた。ミロードはその言葉を聞きながら思った。彼女も私も世の中から捨てられた。さらに物質的には彼女の方がより困難な位置にあった。それでも彼女は自分の力で運命に立ち向かっていった。私は今、運命の流れに身を任せようとしている。しかし彼女は今こうして破局を迎えている。私の方が正しいの? それなら彼女の生き方に憧れに似た感情が沸き起こるのはなぜ?
- 「
- 「セーヌさん…、行くあてがないなら私と一緒に来ない…?」
ミロードは自分でも驚くほどおどおどしてセーヌに話しかけた。
「ありがとうございます。」セーヌは静かに答えた。そして誰もが口を閉ざし、ホールに満ちた血の臭気はさらに強くなったように思われた。
- つねに誰かが誰かを必要としているということ
- 33rd. Fire 1617 S.T.
ミロードの傷も癒え、その日の夜に一同は軍長官のところに赴いた。ミロードの報告を受け、長官は次のように言った。
- 「
- この度の捕盗の功により、そなたにそなたの父の代に等しい領地を安堵するものである、との伯爵様からのお達しだ。」
- いかにも手切れ金のような感じに表情の曇るミロードを見かね、長官が言葉を繋ごうとすると、奥から初老の上品な男が現れた。ダンジム伯だ。
- 「
- そのように悔しそうな顔をするな、ミロード。美人が台無しではないか。ふむ、どうせならもっと悔しがらせてやるとするか。」
- ミロードは自分の耳を疑った。
- 「
- 今回のそなたのセギュレーン行、これはな余とそなたの父上とで仕組んだ狂言でな。そなたも知っての通り、この国はもう危ない。だが余やそなたの父上はこの国を愛しているからここで死ぬ。さらに、もう一つの愛の対象であるそなたにはこの国から逃げてもらう。そのための狂言さ。」
- 「
- そんな、ひどすぎます!! 私の望みはこの国と閣下をお守りすることなのに・・・」
- 「
- ふむ、予測どおりの答えよな。余の推理力にまだ冴えがあるのを確認するのは悪くはないが、ちと興がないぞ。そなたの忠誠心は高く評価するがな、判断力はまだまだのようだ。次の動乱でわが国は滅ぶ。余も死ぬ。そのような破滅にそなたの剣一本で何事が出来るというのだ? 何事も成しえぬことが分かっていながら、その渦中に飛び込む、というのはずいぶんと楽な選択ではないかね?」
- 「
- ですが、失礼ながら閣下はそのような選択をなさろうとしておられる。」 デスウィングが横槍を入れる。
- 「
- ほっほ、よい答えだ、ロスコルムの騎士殿。」
- そう言うと、伯爵はデスウィングに金貨を弾いた。(5)
- 「
- だが余は良いのだ、老人だからな。せいぜい楽をさせてもらうとしようぞ。」
- デスウィングは軽く笑って、伯爵に金貨を弾き返した。
- 「
- そなたの感受性もなかなかのものぞ。さて、ミロードよ、もうそなたを騙すのは止めにする。うまくいったところで、この愛しい鷹は国の窮状を聞けば飛んで帰ってくるであろうからな。」
- ミロードが安堵するのもつかの間、
- 「
- 代わりにそなたに命じる。生きよ。国だの何だののしがらみに捕らわれることなく、そなただけの生を生きよ。おそらくそなたには難しい課題だろうて、命の下し甲斐がある。だが勅命だからな、謹んで奉じろよ。さて、ロスコルムの騎士殿、そしてエルフの女祭殿、立場が逆だがミロードを宜しく頼む。それとミロード、セギュレーンに着いたらセシュネラ王子に嫁いだペグチュア(伯爵の長女)によろしく伝えてくれ。では、ミロード、そしてその仲間たちの上にいつもフレラル・アマリ神の恩寵があらんことを祈っているよ。(6)」と微笑むと、伯爵は翻って奥へ帰っていった。ミロードは伯爵に下げた頭をいつまでも上げられずにいた。
Extremum Scriptum "Amor et Aversatio"
-
実際には、セーヌは高い〈キック攻撃〉〈格闘技〉の技能を持っていたからである。
-
幸いデ・テース家襲撃時のデータが残っていたので、ここに併記しておく。おラウンド数はアンナさんが扉を開けたときからのカウントである。
1R. アンナさん、セーヌに頭部を砕かれ即死。
5R. エレナさん、クアードリに決定的打撃を与え、彼の左腕を使用不能にする。
エレナさん、セーヌに左腕を砕かれ死亡。
フレデリカさん、クアードリに右腕を切断され死亡。
6R. 襲撃者たち、ホッパーと対峙。
12R. ホッパー、倒される。
-
ミロードはダンジム伯爵がダンジム男爵になったことを怒っているが、これは勘違いの類である。確かに宮廷の位階では伯爵位の方が上だが、伯爵位や公爵位は譜代の臣下に与えられるものであり、男爵位は外様の臣下に与えられるものである。男爵位は位階こそ低いものの、多くの自治権を与えられている。このような政策から見て、セシュネラ政府は実際にはダンジム統治にかなり意を用いているようである。
ちなみに、ダンジムの伯爵位はアーカットの暗黒帝国に与えられたものであろう。
-
ここでアラクニー・ソラーラ(運命の紡ぎ手。しばしばマスターの婉曲表現)は、セーヌにいわゆる「狂気度チェック」を行わせた。すなわち、 POWx5 ロールに失敗した場合、セーヌを一時的狂気に陥ったと見なすのである。さらに INTx1 ロールを要求し、成功すればクアードリを信じて彼のために戦い、ファンブルの場合には混乱してクアードリを攻撃する。それ以外の時は自失状態を脱せず、戦闘が終了すれば、勝っているほうに味方するという手筈であった。セーヌは INTx1 ロールにすぐさまファンブルしてしまったのである。
-
西方文明の上流社会で一般的な会話の慣習で、なぞなぞで負けたときや議論で一本取られたとき、相手が軽妙なことを言ったときには、相手に敬意を表して金貨一枚を与える、というもの。自分の考えに固執したり、あるいは吝嗇だったりして相手に金貨を与えないような者は軽蔑される。
これは曙以前のブリソスの賢王の故事に由来し、神知者たちが自分たちの自由な議論を楽しむためにこの慣習を広めた。(Efendi による勝手な設定です。)
-
ダンクの市神であるフレラル・アマリの恩寵は、当然市域の外には及ばない。これも伯爵のジョークであったのだろうか?
- Appendix 1 : Casa de Taisse
- デ・テース邸見取り図
- Appendix 2 : Casts
- キャスト
クアードリ:セーヌの情夫。26歳。カルマニアン・マルキオン教のエティーリーズ信者
|
STR |
9 |
CON |
11 |
SIZ |
16 |
INT |
16 |
POW |
21 |
DEX |
15 |
APP |
15 |
|
Move |
3 |
HP |
14 |
FP |
20-27=-7 |
MP |
21+78=99 |
DEX SR |
2 |
|
R. Leg |
5 |
/ |
5 |
L. Leg |
5 |
/ |
5 |
Abdomen |
5 |
/ |
5 |
Chest |
9 |
/ |
6 |
R. Arm |
9 |
/ |
4 |
L. Arm |
9 |
/ |
4 |
Head |
9 |
/ |
5 |
|
運動 |
(-2) |
登攀 61% 跳躍 32% 投げ 33% |
操作 |
(+10) |
修理 33% 早業 24% |
交渉 |
(+15) |
言いくるめ 15% 雄弁 26% |
知覚 |
(+11) |
捜索 32% |
知識 |
(+6) |
鑑定 40% 応急手当 17% 人間知識 33% |
隠密 |
(-12) |
|
言語 |
|
Carmanian 51/21 Saferstan 11/21 Tradetalk 14/- |
|
武器 |
SR |
A% |
/ |
D% |
ダメージ |
AP |
備考 |
ククリ |
7 |
41 |
/ |
29 |
1D4+3+1D4 |
8 |
|
ショートスピア |
6 |
30 |
/ |
18 |
1D8+1+1D4 |
10 |
|
ナイフ |
7 |
39 |
/ |
- |
1D3+1+1D4 |
4 |
|
パンチ |
7 |
63 |
/ |
23 |
1D3+1D4 |
3 |
|
|
魔法 |
(+20) |
F. INT |
12 |
浄化 50% 強度 50% 時間 19% 合成 34% |
耐傷 50% 耐魔 50% 深傷 50% 切開POW 50% |
|
精霊魔術 |
(+20) |
発動率 |
105-27=78% |
惑い(2) 防護 I 修復 I |
|
防具: |
全身にリングメイル、その上で胸部、両腕、頭部にベザント革 |
戦術: |
いざというときは、《耐傷》《耐魔》《深傷》をそれぞれ強度8でかける。MPは切開で蓄えたものをもって当たる。倒した敵は息があるうちにPOWを切開する。 |
財産: |
2,244ペニー。他は雑具のうちでルナー・スピリッツ1瓶が目につく。 |
|
子供の奴隷:クアードリの小姓。ティーロ・ノーリ信者
|
STR |
11 |
CON |
11 |
SIZ |
13 |
INT |
18 |
POW |
11 |
DEX |
11 |
APP |
18 |
|
Move |
3 |
HP |
12 |
FP |
22 |
MP |
11 |
DEX SR |
3 |
|
R. Leg |
0 |
/ |
4 |
L. Leg |
0 |
/ |
4 |
Abdomen |
1 |
/ |
4 |
Chest |
1 |
/ |
5 |
R. Arm |
0 |
/ |
3 |
L. Arm |
0 |
/ |
3 |
Head |
0 |
/ |
4 |
|
運動 |
(-1) |
|
操作 |
(+10) |
|
交渉 |
(+13) |
|
知覚 |
(+10) |
|
知識 |
(+8) |
|
隠密 |
(-3) |
|
言語 |
|
|
|
|
|
防具: |
麻と毛の衣服 |
戦術: |
自らが戦うことはない |
財産: |
なし |
|
ホッパー・デ・テース:ミロードの父。年老いた退役軍人。オーランス信者
|
STR |
12 |
CON |
15 |
SIZ |
14 |
INT |
17 |
POW |
19 |
DEX |
17 |
APP |
13 |
|
Move |
3 |
HP |
15 |
FP |
27-29=-2 |
MP |
19 |
DEX SR |
2 |
|
R. Leg |
9 |
/ |
5 |
L. Leg |
9 |
/ |
5 |
Abdomen |
7 |
/ |
5 |
Chest |
7 |
/ |
6 |
R. Arm |
9 |
/ |
4 |
L. Arm |
9 |
/ |
4 |
Head |
8 |
/ |
5 |
|
運動 |
(+4) |
乗馬 47% |
操作 |
(+15) |
物を隠す 54% |
交渉 |
(+15) |
|
知覚 |
(+16) |
聞き耳 93% 視力 99% |
知識 |
(+7) |
応急手当 82% |
隠密 |
(-6) |
隠れる 55% |
言語 |
|
Saferstan 30/- |
|
武器 |
SR |
A% |
/ |
D% |
ダメージ |
AP |
備考 |
2Hスピア |
5 |
? |
/ |
? |
1D10+1+1D4 |
10 |
|
シミター |
6 |
? |
/ |
? |
1D6+2+1D4 |
10 |
|
ヒーター |
7 |
? |
/ |
? |
1D6+1D4 |
12 |
|
|
精霊魔術 |
(+20) |
発動率 |
95-29=66% |
鋭刃 III 抵抗 III 消沈(2) 治癒 II 防護 VI 早足 III |
|
神性魔術 |
(+20) |
発動率 |
100-29=71% |
無敵 x3 盾 x3 神剣 x2 |
|
防具: |
全身に薄手の革、その上で両脚両腕にプレート、胴体にラメラー、頭部にチェイン |
戦術: |
まず《防護 VI》をかける |
|
女中たち:デ・テース家に仕える。全員アーナールダ信者。名前は資料1にある通り
|
STR |
11 |
CON |
11 |
SIZ |
10 |
INT |
14 |
POW |
12 |
DEX |
12 |
APP |
16 |
|
Move |
3 |
HP |
11 |
FP |
22-4=18 |
MP |
12 |
DEX SR |
3 |
|
R. Leg |
0 |
/ |
4 |
L. Leg |
0 |
/ |
4 |
Abdomen |
0 |
/ |
5 |
Chest |
0 |
/ |
5 |
R. Arm |
0 |
/ |
3 |
L. Arm |
0 |
/ |
3 |
Head |
0 |
/ |
4 |
|
運動 |
(+3) |
|
操作 |
(+7) |
|
交渉 |
(+8) |
雄弁 89% |
知覚 |
(+6) |
聞き耳 82% 視力 47% 捜索 99% |
知識 |
(+4) |
製作家政 89% 鑑定 67% |
隠密 |
(-1) |
|
言語 |
|
Saferstan 30/- |
|
武器 |
SR |
A% |
/ |
D% |
ダメージ |
AP |
備考 |
ほうき |
6 |
82 |
/ |
23 |
1D6 |
8 |
|
包丁 |
8 |
41 |
/ |
18 |
1D4+2 |
6 |
|
|
精霊魔術 |
(+7) |
発動率 |
60-4=56% |
治癒 IV |
|
神性魔術 |
(+7) |
発動率 |
100-4=96% |
傷の治癒 x1 |
|
防具: |
なし |
戦術: |
ホッパーが武装するまで必死で時間稼ぎする。玄関までは、B:5R 5SR / C:5R 5SR / D: 5R 5SR / E:6R 6SR / F:6R 6SR / G:部屋で待機、ホッパーを手伝う / H:7R 5SR
|
|
- Appendix 3 : Prologue for Seine Elle
- セーヌへのプロローグ
フェルスター湖周辺は、古代の2大文明、すなわち古セシュネラを中心とする西方文明とドラストールを中心とするゼイヤラン文明の交わったところであり、古くから開け、独特のセイフェルスター文明を華開かせていた。しかしながら、混沌神グバージを倒した古代の英雄アーカットが築いた王国がマルキオン教の異端である「神を知る者」派に滅ぼされて以後、その神知者の帝国も滅び、諸都市国家が割拠して、戦争と平和を繰り返していた。
隣国セシュネラも神知者に支配されていたが、この地に西の彼方の「暁の門」より紫の巨人が大挙し、セシュネラの大地を打ち砕いてしまった。未曾有の危機に人々はより純粋な宗教を求め、マルキオンの法に忠実に生きる強力な身分制を奉じるロカール派が台頭した。そして15世紀に至り、ロカール派の司祭たちはこの地でもっとも優秀な男・リンドランド公ベイリフェスをセシュネラ王に戴冠した。彼は40年かけてセイフェルスターのほとんどを征服した。そして彼の後継者たちは60年でその領土を失った。しかしながらセシュネラ王国はその「正統な領土」を虎視眈々と窺い続けた。
セイフェルスターの諸都市はこれに対し、共同して対抗したり、それぞれがセシュネラと誼みを通じたりしてさらに混乱を極めるようになった。また民衆たちはこうした状況に絶望して、セイフェルスターの「正統な支配者」アーカットを奉じ、反乱を起こす者たちもいた。そして敵国に対抗して、このアーカット運動を助ける国も現れた。いまやセイフェルスターの戦乱は、親セシュネラ派と反セシュネラ派(アーカット派)に別れ、最終局面を迎えようとしていた。
だがセーヌの故郷であるダンジム伯国は微妙な立場にあった。ダンジム伯国はセシュネラとセイフェルスターの接点に当たり、ダランランド伯国を盟主とする反セシュネラ同盟に組みしていたが、セシュネラに占領されたときにセシュネラ王国の男爵に任じられた。反セシュネラ同盟といってもその構成国は日和見的で、常にあてになるものではなかった。したがって、ダンジム伯国はセシュネラの勢力が旺盛なときにはセシュネラ王国ダンジム男爵国を、衰微しているときには反セシュネラ同盟ダンジム伯国を演じているのであった。だがダンジム伯国政府の判断が常に的中するわけではなく、しばしば戦火に見舞われた。そして今はセシュネラが旺盛であった(少なくともそう判断されていた)。
セーヌの父、ジロンドは堅気の市民であったが、この国の市民は時にはセシュネラ側に立ち、時には反セシュネラ側に立って、その生涯の少なくない部分を戦場で送る。ジロンドもありふれて徴兵され、ありふれて戦死した。ただありふれていなかったのは、母ロワールが幼いセーヌを捨て、失踪してしまったことである。どこの世界でも幼い子供が一人でいくのは難しい。彼女は盗みを覚え、年を経て女になればより効率的な生活手段も身に付けた。普通の少女が寺院でまず習う呪文は《治癒》であろうが、彼女は《魅惑》を習った。その方が今の彼女の職業には役に立ったからである。
そんな彼女にも好機が訪れた。ドローム市の豪商の息子が彼女の馴染み客となったのである(ドロームのあるヘルビー男爵国はマニリア地方への通商路を押さえている豊かな国であった)。彼は彼女に優しくしてくれた数少ない人間の一人だった。彼はセーヌを救ってくれるといった。セーヌはその世間知らずの坊ちゃん振りにちょっと呆れたが、それは彼の純粋な誠実の姿勢への妬みだったのかもしれない。彼がダンクに来ているのは仕事であり、それが終わればドロームに帰るだろう。その時彼は自分を連れてってくれるだろうか。ひょっとしたら明日から何も言わずにぱったりと来なくなるかもしれない。そう考えると切なさで押し潰されそうになり、逢うたびに泣きたくなった。
そんなある日のこと彼が暗く沈んでやってきた。彼が言うには、彼の故郷ヘルビー男爵国がクストゥリア国とガーリン市を巡って交戦状態に入ったというのだ。フェルスター湖の西岸にあるクストゥリア国は馬上槍試合の優勝者が王となる変わった国だが、フェルスター湖の東岸にあるガーリン市の女王が彼の后となる慣習があり、共同でフェルスター湖湖上帝国を統治していた。そして今クストゥリアの王の地位にいるのはセシュネラ人青年であった。この青年の意図に関係なく、セシュネラ王国はこの戦争に干渉してくるだろう。そうなればセシュネラの属国であるダンジムにいる敵性外国人は無事ではいられまい。事実そうなった。彼はリストに載るほどの大物ではなかったから幸い大丈夫だったが、彼の父は政府の命令により拘束されてしまった。捕らえたのはダンク北区捕盗頭ミロード・デ・テース。
そして彼は次のような提案を持ちかけた。デ・テース家にはミロードのほかには老いぼれた父親と数人の女中しかおらず、ミロードの留守をねらってミロードの父を人質に取り、彼の父の返還を要求するというものだ。セーヌはデ・テース家の不用心さを訝しく思ったが、彼はそれはミロードが腕に自信があるのと、ミロードが女性であるという両方の理由によるためであろうと言った。そして、セーヌがミロードの父を取り押さえ、彼と彼の父は逃げる。セーヌ自身はヘルビー人に脅されたといって許しを乞う。そして保釈金として用意したというホイール金貨105枚をセーヌに見せた。セーヌが捕まったとしてもこれで取り戻すという。そしてみんなでドロームに帰ろう最後に言った。
セーヌは彼の言葉だけを信じて、とうとうデ・テース家の前まできてしまった。彼女は自分の愛と幸せのために他人を犠牲にできるほど惨めな生活を送ってきたのだ。こんな言い訳を自分にしているのはやはり罪の意識が拭いされないのかもしれない。
- 「
- 老いぼれとはいえ、歴戦の戦士だ。騙し討ちは通用しまい。強襲するしかないだろうが、君は素手でいいのかい? 僕は《耐傷》と《耐魔》の呪文をかけてあげるけど、《深傷》の呪文は武器にしかかけることができないんだ。このショートスピアを使いなよ。君もセイフェルスター人なら他の武器よりは使い易いだろう?」
- Appendix 4 : Prologue for Millaude de Taisse
- ミロードへのプロローグ
フェルスター湖周辺は、古代の2大文明、すなわち古セシュネラを中心とする西方文明とドラストールを中心とするゼイヤラン文明の交わったところであり、古くから開け、独特のセイフェルスター文明を華開かせていた。しかしながら、混沌神グバージを倒した古代の英雄アーカットが築いた王国がマルキオン教の異端である「神を知る者」派に滅ぼされて以後、その神知者の帝国も滅び、諸都市国家が割拠して、戦争と平和を繰り返していた。
隣国セシュネラも神知者に支配されていたが、この地に西の彼方の「暁の門」より紫の巨人が大挙し、セシュネラの大地を打ち砕いてしまった。未曾有の危機に人々はより純粋な宗教を求め、マルキオンの法に忠実に生きる強力な身分制を奉じるロカール派が台頭した。そして15世紀に至り、ロカール派の司祭たちはこの地でもっとも優秀な男・リンドランド公ベイリフェスをセシュネラ王に戴冠した。彼は40年かけてセイフェルスターのほとんどを征服した。そして彼の後継者たちは60年でその領土を失った。しかしながらセシュネラ王国はその「正統な領土」を虎視眈々と窺い続けた。
セイフェルスターの諸都市はこれに対し、共同して対抗したり、それぞれがセシュネラと誼みを通じたりしてさらに混乱を極めるようになった。また民衆たちはこうした状況に絶望して、セイフェルスターの「正統な支配者」アーカットを奉じ、反乱を起こす者たちもいた。そして敵国に対抗して、このアーカット運動を助ける国も現れた。いまやセイフェルスターの戦乱は、親セシュネラ派と反セシュネラ派(アーカット派)に別れ、最終局面を迎えようとしていた。
だがミロードの故郷であるダンジム伯国は微妙な立場にあった。ダンジム伯国はセシュネラとセイフェルスターの接点に当たり、ダランランド伯国を盟主とする反セシュネラ同盟に組みしていたが、セシュネラに占領されたときにセシュネラ王国の男爵に任じられた。反セシュネラ同盟といってもその構成国は日和見的で、常にあてになるものではなかった。したがって、ダンジム伯国はセシュネラの勢力が旺盛なときにはセシュネラ王国ダンジム男爵国を、衰微しているときには反セシュネラ同盟ダンジム伯国を演じているのであった。だがダンジム伯国政府の判断が常に的中するわけではなく、しばしば戦火に見舞われた。そして今はセシュネラが旺盛であった(少なくともそう判断されていた)。
ミロードの母は、ミロードを産んだと同時に死んでしまった。だからミロードは父の手一人で育てられた。ミロードの父ホッパーは騎士としてこの国を守っている。だが常に流転するこの国の状況はこの国の政策を不安定なものとし、この国の役人の信用を失わせていた。しかしホッパーは伯爵家に忠実に生きてきた。それは初代ダンジム伯とともに国を築いた建国の功臣であるデ・テース家の先祖の言葉を奉じてきたからである。
そのホッパーも騎士の装備を着けてはまともに戦えなくなるほどに老衰し、引退することになった。だがホッパーはミロードの母の後に後妻を娶らず、嫡子はミロードだけであった。彼女はデ・テース家の騎士の誇りと領地を守るために、父の諫言にもかかわらず男装して騎士の鎧をまとった。だが彼女にしてみればその選択はごく自然なものだった。父親一人に育てられ、人一倍男勝りであった彼女は、少女の頃女は騎士になれないと知った時のほうがよほどショックであったくらいだ。
だが前線の男女などない兵舎では、彼女の正体がばれるのは時間の問題だった。彼女はすぐさま本国に更迭されたが、伯爵はデ・テース家を重んじ、前線からはさすがに引き下げさせたが、彼女をダンク市の北区捕盗頭に任じた。所領は削減されたが、また手柄を立てて取り返せばよい、ダンク市初の女性軍人を見に集まる人々の嘲笑にもめげず彼女はそう決心した。
そんなある日のこと、ヘルビー男爵国がクストゥリア国とガーリン市を巡って交戦状態に入った。フェルスター湖の西岸にあるクストゥリア国は馬上槍試合の優勝者が王となる変わった国だが、フェルスター湖の東岸にあるガーリン市の女王が彼の后となる慣習があり、共同でフェルスター湖湖上帝国を統治していた。そして今クストゥリアの王の地位にいるのはセシュネラ人青年であった。この青年の意図に関係なく、セシュネラ王国はこの戦争に干渉してくるだろう。そうなればセシュネラの属国であるダンジムはその尖兵となるに違いない。捕盗頭たる自分も敵性人物の捕縛の任を告げられるだろう。我々の伯爵を男爵におとしめ、セイフェルスターを踏みにじるセシュネラ王国のために、彼らに抵抗する人々を捕らえるのは心が痛むが、伯爵のため、デ・テース家のため、そして老いた父のためにそんな感傷には浸っていられなかった。先日も反セシュネラ同盟のレジスタンスに武器を売ろうとしていたドロームからやってきた肥満した商人を捕らえた。こいつは抵抗したので足の腱を切りつけてやった。もうそんなことも気にしていられないほどに多くの人間を捕らえ、殺した。すでに人間がただの数に思われるこの頃であった。
そんな殺伐とした日々を送って間もなく王宮に呼ばれた。軍長官のとなりに大柄な男とエルフの女が2人控えていた。軍長官の説明によれば男は北の大国ロスコルムの騎士、エルフの1人はマニリア地方にあるアーストラの森の司祭だという。なんでもセシュネラの学者の招かれ、ここダンクを通過するところだそうだ。そして長官は彼らをセシュネラの都セギュレーンまで護送するようミロードに命じた。確かにセギュレーンへの道中はソダル沼沢など危険なところもある。だが遠国からここまでこれたような人たちだ、何で後もう一歩に苦労しようか?御役御免だなと悟った。だが命令は命令だ。兵士として志願したときに神と伯爵と父に服従の誓いを立てた。仕方ない、彼らを連れて屋敷に戻り旅立ちの支度をしよう。そしてセギュレーンに赴き、それから……。それから? それからどうするのだろう? それはそのとき考えよう。結婚するのも案外良いかもしれない。女であることがこんなに呪わしく思われたことはなく、ミロードは人知れず唇を噛んだ。