輝く月の物語
The Story of Ai-yaruk
マルコ・ポーロ、『東方見聞録』、7:217

 よくお聞きください。このカイドゥ王にはアイジャルックという王女がありました。アイジャルックとはタルタール語で「輝く月 Ai-yaruk」の意味です。この王女はとても豪勇で、王国内の武士であれ若者であれ、誰一人として彼女に打ち勝つ者はいなかった。彼女が若侍たちをことごとく打ち負かした次第を次にお伝えしてみよう。
 王女の父カイドゥ王は、彼女を貴族の誰かと結婚させようと思ったのであるが、彼女はそれに耳をかさず、力業で自分を打ち負かすような貴族が見つかるまでは、夫をとらないと言明した。そこで父王もやむなく、望みに任せてその夫を選んでもかまわないという許可の文書を与えた。

(中略)

 王女は父王から、彼女の望むがままの夫を選んで結婚してもよい、という承諾の文書を得て大いに喜んだ。彼女は世界各地に布告して、もし彼女に挑戦したいと思う貴族の若者があって、首尾よく彼女に打ち勝つことができたなら、その男性を自分の夫に決めるであろうと宣言した。この報道が各地・各国に伝わると、我こそは彼女を相手に腕比べをしてみようとして多数の貴族が各地から集まってきた。(中略)そして試合の条件はこうなのであった。すなわちもし若侍が王女に打ち勝ってこれを投げ倒すことができれば、王女を妻とすることができる。しかし反対に王女が若侍に打ち勝ったなら、彼は百頭の馬匹を提出して王女の所有に帰せしめなければならない。かかる条件での試合によって、彼女はこれまですでに一万等以上もの馬匹を獲得していた。つまりどんな貴族の若侍・武士をもってしても、彼女を破ることはできなかったわけである。それもそのはず、彼女はその肢体がこの上もなく美しく整っているだけでなく、同時に巨人と見まがうばかりに背が高く、隆々たる筋肉をそなえていたからなのである。
 さるほどに、キリスト降誕暦1280年のことである。ある富裕な国王の王子で、しかも美貌の若者がここに出頭した。彼は美々しい供奉員を従え名馬千頭を携えて、王女に挑戦すべくやって来たのである。この王子は到着するや否や、さっそくその挑戦の意思を伝えた。カイドゥ王はこれを聞いて非常に喜んだ。それというのも、彼は、この王子がほかならぬプマールの王子だと知ったから、この若者にこそなんとしてもわが王女を娶らせたいと望んだからである。そこでカイドゥ王はひそかに王女を召して、この試合にわざと勝を譲るようにと言い渡した。しかしこれに対して王女は、どんなことがあってもそんな不条理・不正はできないと答えた。
 試合の当日、カイドゥ王と王妃は男女多数の侍従を伴い、大天幕に臨席した。次いで王女とプマール王の王子がその場に姿を現した。両人そろって容姿端麗であったから、その光景は実にみごとなものであった。ところでこの王子は本来とても武技に長じ力が強く、これまで誰一人として彼の強さに敵するものとてはいなかったのである。さてこの両人は進んで大天幕の中央、すなわち上記したカイドゥ王以下の座席の前に進んだ。次いで試合の条件が宣言された。王子が勝てば王女を妻にすることができるし、負ければ携えきたった千頭の馬匹をことごとく献呈しなければならない、というそれである。この宣言が終わるや否や、王女と王子とは互いに格闘を開始した。見物人は一人残らず心の底で、この王子が勝利を占めて王女の夫になるようにと希望した。カイドゥ王と王妃の心中もまたこれに異なるものではなった。簡単に試合の模様を述べることにするが、両人たがいに組み合って百方秘術をつくして力を競ったが、結局は王女が打ち勝って王子を投げ倒したのである。かくして王子は敗れ、千頭の馬匹を献呈するや、ただちに侍臣を率いて出発、まったく面目を失った体たらくで本国に帰還した。一方、大天幕の中にあった人々はといえば、いずれもこの結果に嘆息せずにはおられなかったのである。