バールの物語
the Tale of Baal
 

 はじめに卵なるモート Mot があった。これから混沌、エーテル(天空を満たす精気)、空気、風、そして欲望が生まれた。次に、これらから神々と天空が形成され、水が天空から分離して海となった。このようにして世界ができた。
 この世界には、まず一つの大地があって、この大地を2つの大洋が囲んでいる。そしてこの大地を2つに分けるのがタルギジジ・サルマギ Targhizizi Tharumagi と呼ばれる山脈で、この山脈が天空を支えている。この大地の一方は川岸のよい牧場で、もう一方は皮肉にも「喜びの野」と呼ばれる冥界である。この2つの世界をつなぐのが、「シャパシュの墓」と呼ばれるタルギジジ・サルマギのトンネルで、森ほどの量の岩を積み上げねば入ることができない。
 あらゆる河川の源であり、ゆえに大洋の源であり、かつこれらのあらゆる水が天空で出会う場所がレル山 Lel である。レル山は名前に反して山ではなく平野なのだが。この地に8つの入り口と7つの部屋をもつ宮殿が建っており、そこに至高神エル El は住んでいた。

 エルは若いとき海に出た。海では海の女神アシラト Asherah と彼女の女友達が洗濯をしていた。彼は彼女たちを観察し、その善きことを認めた。彼は鳥を焼いて二人を招待し、自分の妻になるか、それとも娘になるかを選ばせた。彼女たちは妻になることを選び、そのようになった。彼らは70の神々をもうけた。家族は砂漠の聖域に移り、そこで8年間を過ごした。
 老いたエルは、息子である竜神ヤム Yamm に王位を継ぐよう命じ、匠神コシャル・ハシス Kothar Hasis にはヤムの玉座を造らせようとした。
 神々はヤムが自分たちを辱め、暴虐の限りを尽くしていると訴えたが、エルはかえってヤムにムッディル mddil 、すなわち「エルに愛されし者」という称号を与え、ヤムのために祝宴を開いた。嵐の神バール Baal は神々がヤムを恐れ、ヤムの使者に操られているのを叱り付け、かえってこの使者を襲おうとしたが、これはバールの妹たち、アシュタルテ Ashtarteアナト Anath に止められた。このバールの未遂の暴挙に対して、エルはバールがヤムの奴隷であることを改めて宣言し、さらにヤムはバールを追放した。だがエルは、バールを追放したからといって安心してはならない、とヤムに警告した。
 ヤムは圧制者として君臨し続け、さらにバールに妹アシュタルテを差し出すよう申し渡した。アシュタルテは怒って、着物を脱ぎ、香料をふりかけ、小鼓を手にしてヤムと対峙したが、ヤムは倒されなかった。
 一方、コシャル・ハシスはヤムの宮殿建設の命令に背いたどころか、バールに魔法の棍棒ヤグルシ・アイムール Yagrush Aymur (「追いて駆けるもの」)を与えて闘争心を焚き付けた。バールはヤグルシ・アイムールでヤムの額と胸を打ち、彼を降した。美しくも残忍な女神アナトがバールに肩入れしていることもあり、エルはバールの王権を認めざるを得なかった。エルはヤムが倒されると、別の息子である死神モート Mot を愛するようになった。

 かくしてバールは王にして審判者となったが、エルとアシラトの夫婦がアナトの脅威にもかかわらず宮殿に住みつづけているのをほうっておいた。エルは依然としてバールが宮殿を建てることも認めなかったが、バールは冗談交じりにそれならばエルを宮殿で奴隷として働かせようと言った。
 バールはアナトに使者を送り、仲裁を頼むためザフォン山 Zaphon のレンガの家に招いた。彼女が来ると、バールは彼女を歓迎し、宮殿がないという不満をもらした。彼女はバールの話を聞いて怒り、エルに向かって暴れだした。エルは怯えた。彼女はエルに対し、その顔をずたずたに切り刻んでほしいか、それとも自分の言葉を聞いてバールの宮殿を建てるか、と脅した。だがエルは拒絶した。アナトはアシュタルテに嘆願書を手伝ってもらい、バールをアシラトの元へ送ってとりなしをお願いした。アシラトははじめ恐れと不安で一杯だったが、コシャル・ハシスの造った銀の寺院を贈られてようやく心を落ち着け、アシラトとアナトはエルに対し、バールに王権の印として宮殿の建設を許可するよう、説得した。かくして2つの玉座にエルとバールがそれぞれ座することとなった。
 ようやくザフォン山にコシャル・ハシスの手によってバールの宮殿が建立されることとなった。ザフォン山には杉、金、銀、宝石、石材が集められた。バールは宮殿に窓をつけることに反対した。捕らえているヤム及び彼の娘たちが窓を破って逃げ出すのを恐れたからだ。だが、コシャル・ハシスは窓があってこそバールは光を放ち、稲妻を落とし、雨を降らせることができるのだ、と説得した。アシュタルテはバールがヤムを捕らえたままにしているのを叱り、「撒き散らす」よう促した。バールはその通りにした。

 窓を付けることを許してようやく宮殿は完成し、バールは祝宴を開いた。モートには、雷も雨も雪も封じるからバールの敵をことごとく祝宴に招待するよう依頼し、重ねてモートには葡萄の神ガプン・ウガール Gapn Ugar を遣わして、新しい宮殿でバールの主権を認めるよう促した。祝宴に来たモートは、自分にみじめな思いをさせるために肉ではくパンとワインを出したな、とバールを責め、冥界に帰った。そして、バールがヤムにしたように、自分はバールを打倒する、と宣言し、天を枯らし、バールが自らの肉を食べる(ほど飢えさせる)ように仕向けるだろう、と脅した。バールはモートを宥めるために牛の神シェゲル Sheger と羊の神イシム Ithm に神が食べるに相応しい生きた羊と牛を持たせて使わす一方、バールはモートを恐れ、太陽の女神シャパシュ Shapash に相談すると、彼女は身代わりを立てるよう助言し、バールは牝牛との間に身代わりをもうけた。バールとその身代わり、彼の娘たちは、冥界に下りた。モートはバールに自分に服従するよう促し、断られるやバールもその身代わりも捉えて食べた。
 バールの死が地上の不毛をもたらし、エルの畑にも実害が及んだ。エルはバールの死を聞くや、玉座から降り立ち、ぼろを纏い、我が頬を傷つけた。アシラトは残る息子アシュタル Athtar を推して王権を継がせようとするが、エルはこやつではバールの任には堪え得ない、とその選を退けた。
 アナトはバールを探し、彼の遺体を見つけると悲哀に満ちて暴れまわった。彼女はシャパシュに遺体をザフォン山へ運ばせ、彼女がそこに埋めた。アナトはバールの名誉を称えて宴を設けた。
 飢饉が7年間続いたある日、イルはバールが存命であることを夢で知り、それをアナトとシャパシュに伝えた。アナトは決起してバールを殺した犯人を捜し回った。そして、遂にモートを見つけた彼女は、モートの体を切り刻み大地にばらまいた。すると、バールは無事生き返った。バールの復活によって季節の循環が生じるようになった。

 復活したバールはモートの味方やアシラトの息子たち、黄色いものどもと戦った。7年後、モートは復活し、和平案として自分が人類を死に追いやるのを止める代わりに、バールの兄弟を一人を寄越すよう要求した。バールは拒絶し、2人は歯と爪で戦った。見かねたシャパシュは2人を分け、バールはエルの最愛の息子であること、バールは再び玉座を占めることを宣言した。

 長く平和で豊かな時代の後、バールは砂漠の縁で牛頭の怪物と戦って殺され、その死は癒されることがないだろうと予言されている。

※ 神々に固有の神話に関してはその神の項を参照のこと。